えい)” の例文
旧字:
直義は、水城みずきあとまで出て、兄を迎え、共に、原山の陣所へ入った。原八坊の一つ四王院がすでにえいとしてよそおわれている。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてまた、尊氏のえいは、さきの宝満寺を引きはらって、はやくも、逆瀬川の川尻のひがし、魚見堂へ、その本営を移したということでもある。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛内繁華の地や、目ぼしいやかたとみられる所は、あらかたもう諸大将のえいに割当てずみであるらしい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自然、その方面のたたかいも終熄しゅうそくして来た頃である。——ある日、一色右馬介が、遠い河内の使いから帰って来た。そして、さっそく、太宰府のえいに、主君尊氏を訪うていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして直義の二階堂のえいはたんに“しも御所”といいならわした。「鎌倉大日記」に——尊氏ノ鎌倉ニ入ルヤ、自ラ征夷大将軍ト称ス——などとあるのは事実でないし、世間から観た彼でもない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏は、東寺とうじえいからこれへ、お見舞にといって、参上した。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ城外に出て布陣するぞ。全軍、えいを出ろやい!
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信雄は、ただちに、秀吉のえいへ、訪ねて行った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)