令旨りょうじ)” の例文
後で分った事であるが、その藤九郎盛長は、先に山伏すがたの新宮十郎行家が令旨りょうじを伝え歩いた国々へ、再度、頼朝の名を以て
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孝謙天皇は女帝であらせられたので、いきおい光明太后が摂政せっしょうされ、紫微中台より令旨りょうじは発せられるようになった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
いわゆる“大塔ノ宮令旨りょうじ”のげきを海からも陸からも天下に発し——隠岐の父皇ちちぎみのうばい返しまでを——画策していたのである。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平清盛たいらのきよもりの専横に抗して、頼政よりまさをはじめ、伊豆の頼朝よりとも、木曾の義仲よしなか等源氏の一党が、以仁王もちひとおう令旨りょうじを奉じて一斉いっせいに挙兵した年である。この前後は東大寺の性質もむろん変っていた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
つとに、宮のご令旨りょうじはいただいておったが、作戦のうえにも、それほどまでのお手廻しがおありとは、ここへまいるまで、義貞、つい存じもよらなかった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後に思いあわせれば、宮にえつを賜わり、平家討伐の事や、諸国の源氏へ参加の令旨りょうじを下さる事など、夜もすがら頼政父子おやこと、しめし合せておられたかに思われる。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうえ、天下の武士は、宮の令旨りょうじによってもうごいた。新田義貞はもちろん、正成すらも、指揮下の一将校と見ておられた。いわんや、足利ごとき者をやである。
それの口火を切る王の“令旨りょうじ”を持った新宮十郎行家が、諸国の源氏を説きに駈けまわるだんになると、爆発的な源平争覇の戦乱期に入るのであるが、治承三年中は
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行家がもたらした以仁王もちひとおう令旨りょうじの内容については、小宴の席では、頼朝も時政も、一言ひとこともふれなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さっそく諸所へ、厳戒の制札せいさつを立てろ。また、令旨りょうじは、大塔ノ宮のおん名を以てするがいい」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
令旨りょうじを発しているという。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)