世帯じょたい)” の例文
旧字:世帶
少年時代の貧乏世帯じょたいと同じようにして毎日汗を出して働いて居る中に、次第に身体が丈夫になって、風も引かず発熱もせぬようになって来ました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
さての伴藏は今年三十八歳、女房おみねは三十五歳、たがいに貧乏世帯じょたいを張るも萩原新三郎のおかげにて、或時あるときは畑をうない、庭や表のはき掃除などをし
これを要するに現在の『義経記』は、合資会社のごとき持寄世帯じょたいで、各部分の作者産地はそれぞれに別であった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
祖母が目をかけてやっていた、母子おやこ二人世帯じょたいの者が、祖母のうち塀外へいそとに住んでいた、その息子のほうのことです。
人魂火 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
窓の格子は厳重で人間がくぐれるはずもなく、女世帯じょたいに馴れて、雨戸は日の暮れると一緒に締めるのですから、縁側や入口から、曲者が入れる道理もありません。
お蘭は木綿のかせというものを繰って細々と渡世し、好きもきらいも若い一時の阿呆あほらしい夢、親にそむいて家を飛び出し連添ってみても、何の事はない、いまはただありふれた貧乏世帯じょたいの、とと
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
十年越しの女世帯じょたいにさいなまれた上、一寸ちょっと横浜で逢ったばかりの父親を探すために、何もかもほうり出して、本当に母子共双子縞ふたごじまあわせ一枚になってしまったのです。
眠り人形 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そのおもむきあたかも手鍋世帯じょたいの台所見たような事を机の周囲まわりやって居た。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)