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三十間堀
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さんじっけんぼり
ふりがな文庫
“
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)” の例文
和助に聞くと、親しい学校友だちの一人が通って来る
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
もそこからそう遠くない。その足で彼はそちらの方へも和助に案内させて行って見た。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
やっと
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
の野口という旧友の
倅
(
せがれ
)
が、返済の道さえ立てば貸してやろうという事になり、きょう四時から五時までの間に先方で会うことになっているのです。
二老人
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
滑るがように心持よく
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
の堀割をつたわって、夕風の空高く竹問屋の青竹の
聳立
(
そばだ
)
っている
竹河岸
(
たけがし
)
を左手に眺め
真直
(
まっすぐ
)
な
八丁堀
(
はっちょうぼり
)
の
川筋
(
かわすじ
)
をば
永代
(
えいたい
)
さして進んで行った。
散柳窓夕栄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
母や祖母がお国の話をする時に、
梁田
(
やなだ
)
、
水津
(
すいつ
)
、大野などの姓を聞くと、西氏の
御親戚
(
ごしんせき
)
だと思う位でした。後に私は祖母に連れられて、西氏の
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
のお家へ泊りに行きました。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
わたしは明治二十五年から二十八年まで満三年間、正しく云えば京橋区
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
一丁目三番地、俗にいえば銀座の
東仲
(
ひがしなか
)
通りに住んでいたので、その当時の銀座の事ならば先ずひと通りは心得ている。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
皆
汐溜
(
しおどめ
)
から出て
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
の堀割を通って来る小さな石油の蒸汽船、もしくは、
南八丁堀
(
みなみはっちょうぼり
)
の
河岸縁
(
かしぶち
)
に
深川の唄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
京橋区
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
に
大来館
(
たいらいかん
)
という宿屋がある、まず上等の部類で客はみな紳士紳商、電話は客用と店用と二種かけているくらいで、年じゅう十二三人から三十人までの客があるとの事。
疲労
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
雑誌『三田文学』を発売する
書肆
(
しょし
)
は
築地
(
つきじ
)
の
本願寺
(
ほんがんじ
)
に近い処にある。
華美
(
はで
)
な
浴衣
(
ゆかた
)
を着た女たちが大勢、殊に夜の十二時近くなってから、草花を買いに出るお
地蔵
(
じぞう
)
さまの
縁日
(
えんにち
)
は
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
の
河岸通
(
かしどおり
)
にある。
銀座
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“三十間堀(三十間堀川)”の解説
三十間堀川(さんじっけんほりかわ)は、東京都中央区にかつて存在した河川である。江戸時代に造られた堀川で、京橋川(現在の新京橋出口付近)から汐留川まであり、幅が約30間(約55m)あったために三十間堀と呼ばれた。中央通りと昭和通りの間を流れていた。
(出典:Wikipedia)
三
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
十
常用漢字
小1
部首:⼗
2画
間
常用漢字
小2
部首:⾨
12画
堀
常用漢字
中学
部首:⼟
11画
“三十”で始まる語句
三十日
三十一文字
三十路
三十
三十尋
三十六
三十郎
三十年
三十分
三十夜