“みやうせき”の漢字の書き方と例文
語句割合
名跡100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
九郎兵衞は聞て大いに悦び我等儀われらぎ段々だん/\不仕合ふしあはせ故今は古郷こきやう忘れ難く何か此上は娘お里を手前の女房になし親の名跡みやうせきを立て呉と潸々さめ/″\なみだ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
中村雀右衛門じやくゑもんに次いで、尾上多見蔵たみざうの襲名があり、春の道頓堀では嵐徳三郎が、亡父の二十五年忌をしほに、四代目璃寛りくわん名跡みやうせきを相続するとの噂がある。
隱居は十八歳で身上しんしやうを受け取り、蜂谷の名跡みやうせきをつぎ、馬籠宿の年寄役を勤め、二十八九の頃に八幡屋の普請をしたが、困窮の際であつたから農業にも精出してやつた。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
呼寄よびよせ父樣とゝさま死なれし以來種々不幸が打續うちつゞきかく貧窮ひんきうとなりしこと如何にも殘念なれば其方何卒なにとぞ辛抱しんばうして田畑でんぱたも元の如くに取もどし河口九郎右衞門が名跡みやうせき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
見立て讓りくれよ此事承知なれば兩人とも汝のせがれに致すべしと言けるに主税之助畏まり奉つる仰の如く兩人とも某し悴に仕つり嘉川の名跡みやうせきは必ず兄弟の内に繼せ候はん此樣決して御案事有べからずと立派に請合ければ平助は甚だよろこび我等死後には何分宜敷よろしくたのみ申とかたく申付置たり然るに幾程も無く平助は六十歳を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)