“しゅうほう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
宗彭20.0%
周鳳13.3%
宗法13.3%
襲封13.3%
周魴6.7%
皺法6.7%
秋蓬6.7%
秋邦6.7%
繍袍6.7%
臭芳6.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「馬鹿いわッしゃい。宗彭しゅうほう沢庵、いつでも冗談で日を暮らしていると思うか」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
周鱗しゅうりんの両和尚と御一緒に往つてをられます近江の永源寺、あるひは集九様のをられる近江の草野、または近いところでは北岩倉の周鳳しゅうほう様のお宿
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
「いただきます。宗法しゅうほうでござれば……」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
養父本皓ほんこうの五十八歳で亡くなったのが、天明四年二月二十九日で、信明の襲封しゅうほうと同日である。信明はもう土佐守と称していた。主君が二十三歳、允成が二十一歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
周魴しゅうほうのことばによれば、この辺には呉勢は一騎もいないと聞いていたからである。ところが、また一報があった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうした空気において、たまたま周魴しゅうほう詭計きけいが行われたので、それを口火として、時を移さず魏呉の戦端がひらかれたものと、正しくは観るべきものであろう。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして山水訣さんすいけつの著者のごときも、蕭照は李唐から出て李唐にもまさり、董源とうげん皺法しゅうほうならって董源よりも遒勁しゅうけいであるとさえ評している。
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飄転ひょうてんして 秋蓬しゅうほうの如し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
五郎作は実家が江間氏えまうじで、一時長島ながしま氏をおかし、真志屋の西村氏をぐに至った。名は秋邦しゅうほうあざな得入とくにゅう空華くうげ月所げっしょ如是縁庵にょぜえんあん等と号した。平生へいぜい用いた華押かおうは邦の字であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
繍袍しゅうほうの袖をはねて、佩剣はいけんの柄に手をかけた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これすなわち両者が今に至るまで臭芳しゅうほうの名をことにする所以ゆえんなるべし。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)