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しおばら
後に続く木川子、それにかく申す吾輩、
殿軍としては五尺六寸ヌーボー式を発揮した
未醒画伯、
孰れも
着茣蓙を羽織って、意気揚々
塩原へこそ乗りこんだり。
当時入谷には「
松源」、根岸に「
塩原」、
根津に「
紫明館」、向島に「
植半」、秋葉に「有馬温泉」などいう温泉宿があって、
芸妓をつれて泊りに行くものも
尠くなかった。
鹽原多助が忠孝の道を炭荷と
倶に重んじ。節義は
恰も
固炭の固く
取て動かぬのみか。
獣炭を作りて酒を
煖めし
晋の
羊琇が
例に
做い。
自己を節して費用を省き。
紅葉には大分
間のある、初秋の
鹽原温泉、鹽の湯A旅館三階の廊下である。