-
トップ
>
-
さいきょ
この時に当りて徳川家の一類に
三河武士の
旧風あらんには、
伏見の
敗余江戸に帰るもさらに
佐幕の諸藩に令して
再挙を
謀り、再挙三拳ついに
成らざれば
退て江戸城を守り
が、
何を
申しましても
女の
細腕、
力と
頼む一
族郎党の
数もよくよく
残り
少なになって
了ったのを
見ましては、
再挙の
計劃の
到底無益であることが
次第次第に
判ってまいりました。
隋の
煬帝長安に
顕仁宮を
営むや
河南に
済渠を開き
堤に柳を植うる事一千三百里という。