“えいしん”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:エイシン
語句割合
盈進33.3%
詠進33.3%
嬴秦16.7%
英心16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
安政元年十一月五日の南海道大地震の時わが国で始めて余震観測をした土佐藩士細川盈進えいしんは、同年十二月十八日午前四時頃に発した余震の直後に、火の玉が南から北へ飛んだと記している。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
甲州一の宮浅間神社に詠進えいしんしたる短冊の和歌「うつし植うる初瀬の花のしらゆふをかけてぞ祈る神のまにまに」も、文字こそ信玄の真蹟しんせきであれ歌は主水の作なのである。この他彼の秀逸しゅういつとしては
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
巍の言にいわく、我が高皇帝、三代のこうのっとり、嬴秦えいしんろうを洗い、諸王を分封ぶんぽうして、四裔しえい藩屏はんぺいたらしめたまえり。しかれどもこれを古制に比すれば封境過大にして、諸王又おおむ驕逸きょういつ不法なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
〔評〕南洲かつて東湖に從うて學ぶ。當時たうじ書する所、今猶民間にそんす。曰ふ、「一寸いつすん英心えいしん萬夫ばんぷてきす」と。けだ復古ふくこげふを以て擔當たんたうすることを爲す。維新いしん征東のこう實に此にしんす。