“うづまさ”の漢字の書き方と例文
語句割合
太秦100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
太秦うづまさ村の端れからだいぶ自動車をはしらせてゐるうちに、竹の枝垣をめぐらした深い藪が見え、その藪の前に、白いひと筋の古風な田舍道路が走つてゐた。
京洛日記 (旧字旧仮名) / 室生犀星(著)
右近うこんの馬場を右手めてに見て、何れ昔は花園はなぞのの里、霜枯しもがれし野草のぐさを心ある身に踏みしだきて、太秦うづまさわたり辿たどり行けば、峰岡寺みねをかでらの五輪の塔、ゆふべの空に形のみ見ゆ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
そして出来あがつた上は太秦うづまさのそれにならつて牛祭を催す事にめて、伊原青々園せい/\ゑん祭文さいぶんを、梅幸ばいかうの振付で、その往時むかし丑之助うしのすけの名にちなんで菊五郎が踊るのだといふ。
あしたに稽古の窓にれば、垣をかすめて靡く霧は不斷の烟、ゆふべ鑽仰さんがうみねづれば、壁を漏れて照る月は常住じやうぢゆうともしび、晝は御室おむろ太秦うづまさ、梅津の邊を巡錫じゆんしやくして、夜に入れば
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
太秦うづまさ村に大河内傳次郎君をたづねると、四年前に逢つた時とは少し肥つて好い血色をしてゐた。僕は鼠小僧の解決篇を見ないので、今夜で、替るといふので町へ行つて二人で見物した。
京洛日記 (旧字旧仮名) / 室生犀星(著)