鼎立ていりつ)” の例文
少し遅れてその筋向いにカッフエ・スターが出来、一頃は田原屋と三軒鼎立ていりつの姿をなしていたが、間もなくスターが廃業して今の牛肉屋恵比寿に変った。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
しかもそれらの各種の論文は互いにあい鼎立ていりつして、どちらも、それ自身としては正当でありうるのである。
科学と文学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
然らずして、あなたが、天下に呼号し、・呉を向うにまわして、鼎立ていりつを計る意義がどこにありまするか
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河原崎座主、河原崎権之助ごんのすけは、九世団十郎が、市川宗家そうけに復帰しない、養子にいっていた時の名——現今いまでもあのあたりは、歌舞伎座、東京劇場、新橋演舞場が鼎立ていりつしている。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
同じ拗者仲間の高橋由一たかはしゆいちが負けぬ気になって何処どこからか志道軒しどうけんの木陰を手に入れて来て辻談義つじだんぎ目論見もくろみ、椿岳の浅草絵と鼎立ていりつしておおいに江戸気分を吐こうと計画した事があった。
呉は遠く、曹は近く、結局われわれの抱く天下三分の理想——すなわち三国鼎立ていりつの実現を期するには、あくまで遠い呉をして近い曹操と争わせなければなりません。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵にめあわせて、江戸に一家を持たせたら、柳生、小野の二家に加えて、三派の剣宗が鼎立ていりつし、目ざましいこの道の隆盛期を、この新都府に興すであろうと思うのであった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして遂に、その理想は実現を見、玄徳は西蜀せいしょくに位置し、北魁ほくぎ曹操そうそう東呉とうご孫権そんけんと、いわゆる三ぶん鼎立ていりつの一時代を画するに至ったが、もとよりこれが孔明の究極の目的ではない。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三国鼎立ていりつの大勢は、ときの治乱が起した大陸分権の自然な風雲作用でもあったが、その創意はもともと諸葛孔明しょかつこうめいという一人物の胸底から生れ出たものであることは何としてもいなみがたい。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)