陪観ばいかん)” の例文
しかも、彼の誇る、虎衛軍こえいぐん五万の教練を陪観ばいかんするに、いかにも冷笑している風がある。曹操たる者、怒気を発せずにはいられなかった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方の隅にかたまって、陪観ばいかんの栄を得ていた忠作は、特に心から感動させられずにはいなかったらしい。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
少年のとき旧藩中津なかつで、藩主が城内の能舞台で田舎の役者共を呼出して芝居をもよおし、藩士ばかりに陪観ばいかんさせる例があって、その時に一度見物して、その後大阪修業中
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
福知山藩では今日の試合に公然と女の陪観ばいかんを許さなかったので、よそながら矢来の外で胸躍らせていたのであった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
気稟きひんはまだ青年に劣らず、眉にも頬にも化粧をほどこし、きょうをはれと装ったのであるから、陪観ばいかんの外国人の群れ——耶蘇会ゼスイットの代表者などもみな驚目をみはって
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桟敷さじきには、近衛このえ殿もおられたし、主人役の信長のほか、穴山梅雪、長雲、友閑、夕菴せきあん、長安などの年寄衆、小姓衆、そのほか徳川家の家臣もいながれて陪観ばいかんしていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新九郎は初めて名師に会った感謝にち、修行の一道に邁進まいしんしたが、何せよ格式の高い将軍家の指南道場、新九郎のような末輩は、時たま試合の陪観ばいかんを許されるの他
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
摂家せっけ以下、殿上月卿雲客てんじょうげっけいうんかくはことごとくそこに陪観ばいかんの席を賜わって寄りつどうていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、これは血ぐさい遊戯なので、禁裏の催しには、春ならば、藤花とうかをかざり、牡丹ぼたんうてなをつくったりなどして、陪観ばいかんの公卿朝臣あそんも、みな衣冠をただして、中門廊ちゅうもんろうのうちにいならぶのである。
浜町はまちょう菖蒲河岸あやめがしの御船御殿というのは、将軍家ふねなりの節に、御台所みだいどころづき大奥の女中たちが、よそながら陪観ばいかんするお数寄屋であったが、いつからか、そこにあでやかな一人の貴婦人が棲むようになり
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十三日 猿楽さるがく御見物。諸侯陪観ばいかん
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)