金峰きんぷ)” の例文
秩父の山としては異彩を放っている両神山でも瑞牆みずがき山でも、或は又破風またはふ山でも金峰きんぷ山でも、人を威嚇するようなところは少しも無い。
秩父の渓谷美 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
高き金峰きんぷ山は定かならねど、かやが岳、きんが岳一帯の近山は、釜無かまなし川の低地をまえに、仙女いますらん島にも似たる姿、薄紫の色、わが夢の色。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
そして、金峰きんぷ木賊とくさに冷たい霧がながれてくるたびに、山は秋に染められてゆきます。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾根に出ると八ヶ岳から金峰きんぷ雁坂かりさかあたりまで望まれた。これがアイノ尾根である。昨日の道を上って賽ノ河原に着いたのは十一時。
初旅の大菩薩連嶺 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
金峰きんぷけんを避けて木賊とくさをめぐると、同じ山越えの道でもよほど楽であります。——その木賊と金峰を前にひかえて、甲州を落ちて来た四ツ目屋の新助と雲霧の仁三の一行が足をとめておりました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは奥秩父の金峰きんぷ山に、南口の御室から登るのと大体似たようなもので、あの峻急な登りを考えたならば、劒沢の下流が如何に険悪であり
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
高さは金峰きんぷ山図幅にれば二千六百米余、これぞ秩父山脈の最高峰である。白金台からは其右に続く国師岳をも見られる。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
山では金峰きんぷ山、高原では梓山村の戦場ヶ原、渓谷では笛吹川の上流東沢と西沢、森林では入川いりかわ谷の奥なる真ノ沢と股ノ沢に亙る一帯の大森林がそれである。
奥秩父 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
五万分一金峰きんぷ山図幅に東沢と記入してある其東の宇の北に岩壁の符号のあるのが夫である。此処から二十分で道は開けた河原に出て全く其跡を絶ってしまう。
更に地質の上からいうと、秩父の奥山の主脈は大略これを四つに分つことが出来よう。第一は西の小川山から甲武信こぶし岳の附近に至る金峰きんぷ、奥仙丈山塊を含むもの。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
此時は足拵あしごしらえがよかった為めに凍傷にもかからずに済んだが、一月の中旬、金峰きんぷ山麓の増富鉱泉から、木賊とくさ峠を踰えて黒平くろべらへ出た時の旅では、何等の用意もしないで
冬の山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
秩父山塊の金峰きんぷ山は、私の古い山旅の朧げな記憶の中では、比較的はっきりしている方である。
金峰山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
今其甲府図幅が手許てもとにないのでうろ覚えではあるが、金峰きんぷ山は二千五百何米と記入してあった。
初めて秩父に入った頃 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
秩父の数多い山の中で、高さに於ても姿に於ても、金峰きんぷ山は一際すぐれて群を抜いている。
秩父のおもいで (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
破風はふ山と雁坂嶺とを西と東とに分って筆を起した為に、国司岳がこの二山の間に位置するが如き有様となったが、金峰きんぷ奥仙丈の山脈を除いた秩父奥山の喬岳は、ぼ羅致してあると思う。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
初めて金峰きんぷ山へ登って川端下かわはげへ下る折にも同じ憂目を見たのであった。御室では頂上から北に下ればよいのだと教えられたが、地図を見ると川端下は金峰から北に延びた長い尾根の東に在る。
思い出す儘に (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)