賞賜しょうし)” の例文
平生へいぜい水戸学派の諸書を愛読し、就中なかんずく靖献せいけん遺言いげん』を尊奉し、毛利侯よりも「尊攘の大義を確守し……」のかどを以て賞賜しょうしを受けたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
光秀は庫中の金銀をことごとく取り出させた。そして部下の賞与や寄附や治民の費用に惜し気なくいた。小禄しょうろくの者にすら数百両ずつ与え、上将たちの賞賜しょうしには、三千両、五千両とけ与えた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藩主より賞賜しょうしあれば部内の堤防に用い、貧民の肥料培養等の用に供し、種々仁政のあとあり。前原一誠の乱、その門人にして前原にくみせし者多し、みずからまた官嫌かんけんこうむる。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
なお又、刃傷の節、上野介を介抱かいほうした大友近江守も、同様お構いなし。内匠頭を組みとめた梶川与三兵衛には、前例に依って、新知五百石を賞賜しょうしせられる——という事も次々に触れ出された。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
梁田やなだ弥二右衛門政綱まさつなに、沓掛城くつかけじょう三千貫の采地さいちを与う——という賞賜しょうしを筆頭に、服部小平太、毛利新助など、約百二十余名への賞賜を、信長は、口頭でいって、それを佐渡と修理に記録させた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)