諫奏かんそう)” の例文
その一端が“豆と豆がら”の小ミダシで書いた正成諫奏かんそうであるが、あれもわずかな史拠を敷衍ふえんしたのでつまりは私の正成観が主なのである。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが、『太平記』の有名な竜馬諫奏かんそうの一挿話である。元来太平記は文飾多く、史書として其の価値を疑われ、古来多くの学者から排撃されて居る。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
仮病けびょうでござりました。かみを、いつわりました罪、いくえにも、お罰し下さりませ」範綱は、そういって、さらに、語気をあらためて諫奏かんそうした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれども、帝の軍備には、たちまち内部の反対が燃え、学士秦宓しんふくのごときは、直言して、その非を諫奏かんそうした。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その必死な諫奏かんそうを「——尊氏と親しいからであろう」などとは、嘲弄ちょうろうもまた、はなはだしい。さすが正成も、カッと逆上するのではないかと、みな、目をこらして、正成を見まもっていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、この諫奏かんそうは、そのとき居あわせた堂上すべてから笑いを買って
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義貞はあれいらい、正成なる者に、決してまだ釈然しゃくぜんとはしきれていない。——あれいらいとは、もちろん義貞が西征のに立った三月、正成が直々じきじきに、みかどへ諫奏かんそうし奉ったというそのことである。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉曄りゅうようの如きは、おもておかして、皇帝に諫奏かんそう
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとり姜維きょういは、おもてを冒して、諫奏かんそう幾度か
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成諫奏かんそうの直後だった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)