訥升とつしょう)” の例文
今度の木挽町には訥升とつしょうが出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡やぐちのわたしのお舟を勤めています。
小団次の鋳掛松、菊次郎のお咲、梵字ぼんじの真五郎と佐五兵衛の二役は関三十郎が買って出て、刀屋宗次郎は訥升とつしょう三津五郎やまとやの芸者お組がことの外の人気だった。
文治は年廿四歳で男のよろしいことは役者で申さば左團次さだんじ宗十郎そうじゅうろうを一緒にして、訥升とつしょうの品があって、可愛らしい処が家橘かきつ小團治こだんじで、我童がどう兄弟と福助ふくすけの愛敬を衣に振り掛けて
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
次に贔屓にしたのは五代目沢村宗十郎さわむらそうじゅうろうである。源平げんべえ、源之助、訥升とつしょう、宗十郎、長十郎、高助たかすけ高賀こうがと改称した人で、享和二年に生れ、嘉永六年十一月十五日に五十二歳で歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しわを伸してその白粉の着いた懐紙を見ていたが、何と思ったか、高島田に挿している銀の平打のかんざしまるにいのじが附いている、これは助高屋すけたかやとなった、沢村訥升とつしょうの紋なんで、それをこのお小姓が
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この座の座頭は沢村訥升とつしょう、立女形は弟の田之助、書出かきだしは市川左団次であった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
訥升とつしょう沢村宗十郎の妻となって——今の宗十郎の養母——晩年をやすらかにったが、これまた浅草今戸橋のかたわらに、手びろく家居かきょして、文人墨客ぶんじんぼっかくに貴紳に、なくてならぬ酒亭の女主人であった。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)