筥崎はこざき)” の例文
そうして博多駅より二つ手前の筥崎はこざき駅で降りまして人目を忍びながら、私の氏神になっております博多の櫛田神社へ参詣致しまして
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ひとくちに多々羅ヶ浜といっても、南は筥崎はこざきみやから北は香椎手前かしいでまえの丘陵線までのなぎさ一里半、あし、泥田、砂原などの広い平野もふくんでいる。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、お味方もここを出て進むとすれば、必定ひつじょう、その会戦の地は、香椎かしい筥崎はこざきノ宮との間——多々羅たたらはまからあのあたりの広袤こうぼうでしかございませぬ
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筥崎はこざきの踏切を出ると直ぐにダンマリで後部リーヤのスペヤタイヤの横にまわって、荷物を乗せるデッキの上に立っていたの。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
平生いつもの通り仕事を片附けて、医局の連中に二三の用務を頼んで、この部屋を出られたのですが、それっきり筥崎はこざき網屋町あみやちょうの自宅には帰られませんでした。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「抜かりがあろうか」と、武敏は笑って——「布置ふちは今朝から武敏の胸には描けている。きょう、これより筥崎はこざきノ宮に戦捷せんしょうの報をささげ、なお尊氏討伐の祈願をこめる」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
福岡市外、箱崎というと有名な筥崎はこざき八幡宮の所在地だろう。その八幡宮の横町に在る下駄屋が、まだ寝ていると見えて、表の板戸をピッタリおろしたままである。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「まことに御苦労じゃが、あんた筥崎はこざきまでお使いに行ってやんなさらんか」
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
唐津、名護屋なごや怡土いと城、太宰府、水城みずき宇美うみ筥崎はこざき多々羅たたら宗像むなかた、葦屋、志賀島しかのしま残島のこのしま、玄海島、日本海海戦の沖の島なんて見ろ、屈辱外交の旧跡なんて薬にしたくもないから豪気だろう。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
町続きで十分ぐらいしか電車に乗らないうちに、筥崎はこざき神社前という処に着いた。鳥居前に立ってみると左手の二三町向うに火見櫓ひのみやぐらが見える。田舎の警察というものは大抵火見櫓の下に在るものだ。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
同時に私等は、宗像むなかた神与じんよ村の八並やつなみから筥崎はこざきへ移転して来た。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)