禅家ぜんけ)” の例文
禅家ぜんけで無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以心伝心の幕である。すこぶる短かいけれどもすこぶる鋭どい幕である。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大相国寺の智清ちせいは、手紙の中にある智深の経歴を読んで、ちょっと、うんざり顔だったが、また禅家ぜんけ特有なとでもいうか、へんな興味も覚えぬではなかった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「無声の声は、禅家ぜんけのいわゆる隻手せきしゅ音声おんじょうといったようなものでございますか」
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
禅家ぜんけの修行などは、もっと直接にそのことに向けられているのではないか。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
喇嘛教らまきょうには二種あって、一を黄教といい、他を紅教といい、その衣服をもって区別するのである。黄教は道徳を講じ、因果を明らかにし、かの禅家ぜんけと派をことにして源を同じゅうするものである。
だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家どうけで道徳経を尊敬し、儒家じゅか易経えききょうを尊敬し、禅家ぜんけ臨済録りんざいろくを尊敬すると一般で全く分らんからである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
禅家ぜんけでも儒家じゅかでもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日らくじつめぐらす事も、加茂川をさかに流す事も出来ない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)