神戸信孝かんべのぶたか)” の例文
返書を求めて来る神戸信孝かんべのぶたかの態度には、秀吉もこの多事と兵機を寸刻たりと、ゆるがせに出来ない中だけに、やりきれないような鬱陶うっとうしさを覚えていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれの存在は、去年、しずたけの戦につづき、かれが一味した柴田勝家しばたかついえ神戸信孝かんべのぶたかが、相次いで滅亡したときから——忽然こつぜんと時代の中心から抹消まっしょうされていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ながいあいだ、なにかにつけてじぶんの前途ぜんとをさまたげていた勝家かついえ自害じがいし、かれと策応さくおうしていた信長のぶなが遺子いし神戸信孝かんべのぶたか勇猛ゆうもう佐久間盛政さくまもりまさ毛受勝介めんじゅかつすけ、みな討死うちじにしてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神戸信孝かんべのぶたか以下、城兵の士気はまったく沮喪そそうし、加うるに、城中には、一鉄のおいの斎藤利堯としたかとか、稲葉刑部ぎょうぶなどの、いわゆる美濃同族が多くいたので、それらは皆、城を出て
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とは、民衆の中にあるひとしき焦躁しょうそうであった。その気もちは、信長の第二子北畠信雄きたばたけのぶおと、三男神戸信孝かんべのぶたかるにたいして、当然抱かずにいられない一般の同情でもあったのである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神戸信孝かんべのぶたかの手からは、蒲生氏郷がもううじさとを説かせ、丹羽長秀へ加担かたんの申し入れ、また、勝家自身としても、遠く東海の徳川家康へ音信して、それとなく家康の意中を打診してみるよう、昨今
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神戸信孝かんべのぶたかの岐阜軍が蹶起けっきの機の熟す日を待つこと久しいのであった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとりは秀吉の家臣、ひとりは神戸信孝かんべのぶたかの臣。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)