清輔きよすけ)” の例文
清輔きよすけ奥儀抄おうぎしょう』のこの歌の註にも、「武隈のはなはとて山の差し出でたる処のあるなりとぞ近く見たる人は申せし」とある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
清輔きよすけがある。隆季たかすえがある。女には堀川がある。安芸あきがある。小大進こだいしんがある。国歌はあたかも再興の全盛時代であった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
話はもとへもどるが、治承元年に六条清輔きよすけが卒したのは、俊成出家の翌年六十四のときだが、その後右大臣九条兼実は俊成の歌を愛して彼を寵遇ちょうぐうした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
清輔きよすけの『袋草紙ふくろぞうし』でしたか、ひどく大きい本で、中の字は荒いのです。「紙が無駄だこと」と私はつぶやきましたが、お兄様は、そこに朱でいろいろ書入れをなさるのでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
秋風を耳に残し、紅葉もみぢおもかげにして、青葉の梢なほあはれ也。の花の白妙しらたへに、いばらの花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人かんむりを正し衣装を改めしことなど、清輔きよすけの筆にもとどめおかれしとぞ
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
当時歌人としては、六条家がすぐれていて、『詞花集』を撰んだ六条顕輔、その子清輔きよすけ、またその弟顕昭法橋けんしょうほっきょうらが殊に大家であった。彼らは俊頼・基俊の世を去った後は事実上一代の棟梁とうりょうであった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)