流寓りゅうぐう)” の例文
そして再び越前の貧屋へ帰ってみると、糟糠そうこうの妻は留守のまに病死し、従兄弟いとこの光春も、他家へ流寓りゅうぐうし、赤貧は以前のままな赤貧であった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後に養子が罪を得て主家を追われたため、雲濤は家族を引連れ諸処に流寓りゅうぐうしていたという。横山湖山の「詩屏風しびょうぶ」に雲濤の為人ひととなりを記して次の如くに言ってある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
他郷に流寓りゅうぐうして故郷に帰って見ると家がすっかり焼けて灰ばかりになっていた話ぐらいなものである。
読書の今昔 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その捕にき、獄に投ぜられ、他方に流寓りゅうぐうし、あるいは探偵者のためにうかがわれ、あるいは本国政府のために追跡せられ、あるいはその到る処の客土より、放逐せられたるが如き
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
弘化こうか四年四月三十一日(卅日の誤か)藩籍を脱して(この時年卅六、七)四方に流寓りゅうぐうし後つい上道じょうとう大多羅おおたら村の路傍ろぼうに倒死せり。こは明治五、六年の事にして六十五、六歳なりきといふ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
光源氏が須磨すま流寓りゅうぐうしていた時に、明石あかしの入道がその無聊を慰めんとして、琵琶法師の真似をしたのは、物語だから信じられぬなら、後鳥羽院の熊野御幸の御旅宿へは、泉州でも紀州でも
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
不幸、山東を流寓りゅうぐうして、それがし逆境の身に、世間の軽薄さを、こんどはよく味わったが、昨日今日は、実に愉快でたまらない。尊公の情誼じょうぎにふかく感じましたよ。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十九の年に中学を出てから他郷に流寓りゅうぐうした。妻を迎えて東京をあっちこっちと移り住んだ。
青衣童女像 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
今日まで、殆ど、この流寓りゅうぐうの孤客を、お身内同様に思し召され、連年、多大の軍費と将士の尊い血を以て、義清を御庇護下された大恩は死しても忘れはいたしませぬ。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうではないか! 汝は元来、寄るなく、この徐州へ頼ってきた流寓りゅうぐうの客にすぎぬ。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は河東解良かとうかいりょう山西省さんせいしょう解県かいけん)の産で、関羽かんうあざなは雲長と申し、長らく江湖こうこ流寓りゅうぐうのすえ、四、五年前よりこの近村に住んで、村夫子となって草裡にむなしく月日を送っていた者です。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)