洲股すのまた)” の例文
その問題の洲股すのまたというのは、尾濃びのうの国境で、美濃の攻略には、どうしてもこの辺の要害に、織田の足溜あしだまりが欲しいところなのである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洲股すのまたノ駅ヲ経テ小越川ニいたル。蘇峡そきょうノ下流ニシテ、平沙へいさ奇白、湛流たんりゅう瑠璃るりノ如クあおシ。麗景きくスベシ。午ニ近クシテ四谷ニいこヒ、酒ヲ命ズ。薄醨はくり口ニ上ラズ。饂麺うんめんヲ食シテ去ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
昨日きのう斎藤別当実盛が申したように、甲斐、信濃の源氏が搦手より廻ったのではないか、包囲されてはかなわぬ、敵は何十万騎あるかも知れぬ、ここを捨てて尾張川、洲股すのまたを防げ」
五千の人夫と、三千の兵をつれて、佐久間信盛が洲股すのまたへ立ったのは、ちょうど三月の初旬頃であったから、もう二月余りは過ぎている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洲股すのまた合戦
洲股すのまたから栗原山までは、そう遠くもない。約十里もあろうか。晴れた日は、養老の峰つづきに、模糊もこと見えるくらいな距離である。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「酔うてはおるが、申すことにまちがいはあるまい。そちの妻は、洲股すのまたに住居しておろうが、遠いと思うと、甚だ相違であるぞ」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
七歳ななつの時、手をひかれて、初めて洲股すのまたの城へ母と共に頼ってゆき、小姓として仕えてから九年、虎之助ももう十五になっていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
がしかし、それも、良人が洲股すのまたの築城をなし遂げて、一躍、五百貫の恩地と、一城の守将という地位とをると、世間は今さらのように
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が今は、兄の力に励まされ引き上げられ、彼も一箇の部将として洲股すのまた長浜ながはま以来、つねに秀吉の出陣といえば従軍していた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そもそもは洲股すのまたの戦いで、斎藤方の湧井将監わくいしょうげんてえ八十騎持ちの侍に出会い、あの河原でだ、そいつの槍を、ふんくろうとしたら、突いて来やがった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが明ける早々、年頭の賀をのべるため、彼は岐阜城におもむいて、信長にえっし、さらに数日のいとまを賜ったので、その足で洲股すのまたへと廻ったのである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清洲に住んでも、洲股すのまたにいる頃でも、老母はくわを離さなかった。ここへ来ても同じである。鍬をもって菜園に出ているときが、この老母にとっていちばん幸福な時のようにさえ見られた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼がまだ洲股すのまたの城にいて、ようやく一個の城砦じょうさいと狭い領土とをはじめて持ったとき、早くもこの若き偉材いざいを味方に迎えんとして、半兵衛重治の隠棲いんせいしていた栗原山の草庵へ、何十度となく
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)