櫛形くしがた)” の例文
櫛形くしがたの月が空にかかっていた。天福寺の本堂が影絵のように見え、風はないが海が近いので、空気にしおの香がかなりつよく匂っていた。
あすなろう (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
始終の様子を、その物音の遠くになる果てまでを、殿上の“櫛形くしがたの窓”のあたりで聞きすましていた女性がある。准后の廉子やすこであった。
讓の帽子を受けった婢が櫛形くしがたの盆に小さな二つのコップと、竹筒のような上の一方に口がつき一方に取手とってのついた壺を乗せて持って来た。
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
なぜといえば、その都市の人々は必ずその川の流れに第三流の櫛形くしがた鉄橋を架けてしかもその醜い鉄橋を彼らの得意なものの一つに数えていたからである。
松江印象記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
欄間らんまとしても櫛形くしがたよりも角切かくぎりを択ぶ。しかしこの点において建築は独立な抽象的な模様よりはやや寛大である。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
夜になると曇るので気づかずにいたが、もう九日ぐらいだろうかと思われる上弦というより左弦ともいうべきかなり肥った櫛形くしがたの月が、川向うの密生した木立の上二段ほどの所に昇っていた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
松林の中を右のほうへくだり、繩梯子ばしごで崖をおりた。そのとき観音谷の地形が、ほぼ眼の下に眺望できた。櫛形くしがたの月が空にあるので、狭い谷あいはかなり明るかった。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかし櫛形くしがたの鉄橋には懐古の情も起って来ない。僕は昔の両国橋に——狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を感じている。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかかっていた。
本所両国 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかし櫛形くしがたの鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋に——狭い木造の両国橋にいまだに愛惜あいじやくを感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日こんにちよりも下流にかゝつてゐた。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
だから「諸国銘葉めいよう」の柿色の暖簾のれん、「本黄楊ほんつげ」の黄いろい櫛形くしがた招牌かんばん、「駕籠かご」の掛行燈かけあんどう、「卜筮ぼくぜい」の算木さんぎの旗、——そういうものが、無意味な一列を作って、ただ雑然と彼の眼底を通りすぎた。
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)