桜花はな)” の例文
旧字:櫻花
午さがりの空は、うす寒く曇って、吹上苑ふきあげをつつむ桜花はなの蔭に、チチ、チチ、と小禽ことりの音はあるが、何となく浮いていない。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
散りかかる桜花はなの下道を背戸へまわって二階建ての母屋おもや、焼きつくような饗庭の視線を絶えず首筋に意識しながら、ここが奥座敷と思われるあたりへ出た。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ひえびえと咲きたわみたる桜花はなのしたひえびえとせまる肉体の感じ
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
おぼろな夜の雲を見ているのか、桜花はなの梢を見つめているのか、内蔵助は、背を樹にもたせかけ、顔を仰向けたまま、いつまでも、眸を下に落さない。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白粉おしろい焼けのような、荒淫こういんにただれた顔に桜花はなの映ろいが明るく踊っているのが、男だけにへんに気味が悪い。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
散りかかり散りかかれども棕梠の葉に散る桜花はなふぶきたまるとはせず
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
供の侍従介じじゅうのすけは、さっきから、廊の端に、坐ったまま、苑面にわもにちりしく白い桜花はなをじっと見入っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八つを告げる回向院えこういんの鐘の音が、桜花はなを映して悩ましく霞んだ蒼穹あおぞらへ吸われるように消えてしまうと、落着きのわるい床几のうえで釘抜藤吉は大っぴらに一つ欠伸あくびを洩らした。
しんしんと桜花はなふかき奥にいつぽんの道とほりたりわれひとり
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
黒い桜花はなの影が、障子に雲のようなを映していた。夜霞よがすみのしっとりと感じられる遠くには、櫓の音がする。船唄がながれて行く。——内匠頭夫人は、独りで坐っていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けても、火鉢に炭をつぐ世話もいらない程の陽気だし、桜花はなも今夜あたりでおしまいだろう、櫺子れんじの外には、まだ戸をてない頃から、春雨の音がしとしとと降りつづいていた。
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雨あがりの大路おおじの黒い土は、胡粉ごふんをこぼしたように白いで描かれている。キリ、キリ、とさびしいわだちの音が、粟田口あわたぐちあたりの閑寂かんじゃくな土塀や竹垣、生垣の桜花はなの下蔭を通ってゆく——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)