村名主むらなぬし)” の例文
鄭賓于ていひんうの話である。彼がかつて河北にかくとなっているとき、村名主むらなぬしの妻が死んでまだ葬らないのがあった。
かいくだされましと言に道具屋ハイ/\家主いへぬしひろ次郎と申ますと肩書かたがきにして渡しければ直八是で宜と其儘馬喰ばくろ町の旅宿りよしゆくへ歸りて長兵衞ならび村名主むらなぬし源左衞門に向ひ下谷山下やましたにて見當みあたりし脇差わきざしの事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
村名主むらなぬしだの若い衆が、前の日からそこへ行って、掃除にかかったり白木の祭壇を供えたり、祭の支度をしていたので、その朝となると、湊川の碑を中心に、この辺で見たこともない人群れだった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尋るに本多長門守領分りやうぶん遠州榛原はいばら郡水呑村千五百石の村名主むらなぬし九郎右衞門が實の弟に九郎兵衞と云者あり平生へいぜいよりこゝろたゞしからず其が菩提ぼだい所に眞言宗しんごんしう大石山不動院と云寺あり此住寺も又大の道樂だうらく者にて同氣相求るのことわざもれず九郎兵衞と平生つねに親しくなしけるが九郎兵衞は豫て袋井宿ふくろゐじゆく三笠屋みかさやじん右衞門がかゝへ遊女お芳を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)