)” の例文
烏羅と言ひ、阿礼幡と言ひ、他に見えぬ語であるが、此処の阿礼も、射礼のニハに神をぎ下した古風と見られよう。
幣束から旗さし物へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
タマは言ふまでもないが、をがは「ぎ」と關係あるものと見たに違ひない。さすれば、にう木にまれびとを迎へる意の含まれて居ることは推せられる。
つまりは、神をぎおろし其居給ふべき処を示す「作り山」なのだ。武家の正格な宴会には、之を正客の前に据ゑ、其他の盤・膳の類にも、植物の枝を挿す。
神の純化が遂げられてゐなかつた頃の人々は、目に見えぬ力として、ウツの姿を消した人の霊をも、神と一列に幡もて、ぎよすべきものと信じたのである。
幣束から旗さし物へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其は、キタナき心なき由を、白幡立て、神をぎ下した場所で誓ふと言ふ、古い信仰形式の片われである。
幣束から旗さし物へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
二皇子の場合も、うけひの神事と、猟りの矢倉とを兼ねた物らしい。山・塚・旗・桙などの外に、今一種神ぎのニハとして、かう言ふ台に似た物を作つたことがあつたのだらう。
桟敷の古い形 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
併し、五月幟の類は、一つは田植ゑに来訪する神を迎へるシロなる青山(標の山の類)の変化でもあり、又神人たるべき若者の、神意によつて、指された住む家の目あてになるものらしい。
松ばやしの如きも、春の門松——元は歳神迎へのシロの木であつた——を伐り放して来る行事でした。はやしは、伐ると言ふ語に縁起を祝ふので、やはり、山人の山づと贈りに近い行事です。
翁の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)