押送おうそう)” の例文
妻子は無事に押送おうそうしたが、帰任するとすぐ、徒の者一人が、「矢崎どのは旅中、上田の妻に不倫なことをしかけた」と訴えて出た。
いよいよ罪人押送おうそうの日となって、開封かいほう奉行所の門を一歩出てきた林冲の姿は、もうこの一と月ほどで肉落ち頬骨あらわれて、足もとすらもなよなよしていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたしが汽車からとび下りて、押送おうそう巡査じゅんさの手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しいしろはあった。
念のため、端公のふところの押送おうそう文を調べてみろ! そして早く早く覚醒薬さましぐすりだ! 李立! もしかそれで生きかえらなかったら、てめえも生かしちゃおかねえぞ
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の報が、斯波しば高経とこう師泰もろやすとの連名で、早打ちされてくるし、ひきつづいて、落城のさい、足利勢に捕われた後醍醐の皇太子恒良つねながが、現地から都へ、押送おうそうされて来た。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
押送おうそう役の刑吏は、端公たんこう(端役人のこと)の董超とうちょう薛覇せっぱという男だった。当時、そう代の習慣では、囚人をつれた端公の泊りには、道中の旅籠屋はたごやでも部屋代無料の定めだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ前月の六月には、六波羅からこの鎌倉表へ、——日野俊基としもとをはじめ、宮方陰謀の重大犯とみなさるる僧の文観もんかん、忠円、知教ちぎょう遊雅ゆうが円観えんかんなど——あまたな縄付がぞくぞく押送おうそうされていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俊基、資朝の鎌倉押送おうそうは、あくる朝の十月四日、予定どおりに行われた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関東とは、いうまでもなく、現下、足利直義ただよしのいる鎌倉の府である。——すでに冬も荒涼こうりょうな十一月十五日——尊氏の一族細川顕氏あきうじが警固のもとに、大塔ノ宮は、あずまの空へ押送おうそうされて行った。
押送おうそうの同勢は、やがて東海道の泊りを、かさねていた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)