忌日きじつ)” の例文
(天正十年六月の父の忌日きじつをまつるたびに、あなた方の御先代友松どののお情けも思い出され、その御芳志は今もって忘れておりませぬ)
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
側面へまわれば「寛文六年二月六日」の忌日きじつの文字までも瞭々りょうりょうと見えるはずであったのに——
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
蕪村ぶそん天明てんめい三年十二月二十四日に歿したれば節季せっきの混雑の中にこの世を去りたるなり。しかるにこの忌日きじつを太陽暦に引き直せば西洋紀元千七百八十四年一月十六日金曜日に当るとぞ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
秋暑しゅうしょ一日いちにち物かくことも苦しければ身のまはりの手箱用箪笥ようだんす抽斗ひきだしなんど取片付るに、ふと上田先生が書簡四、五通をさぐり得たり。先生きて既に三年今年の忌日きじつもまた過ぎたり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
子の忌日きじつ妻の忌日もほこの秋
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
母の死と共に、その紙位牌へ、自分の忌日きじつをも並べて書いておいた一学であったから、その死骸は、さだめし雪の中で笑ったまま凍ったろうと思われる。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俳諧の忌日きじつは多し萩の露
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
で、この戦後の建設に多忙極まる中にも、六月二日の忌日きじつを忘れず、大徳寺において、総見院殿そうけんいんでん一周忌の法事を営んだのも、決して、単なる政略のみではない。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忌日きじつあり碑あり梅若物語
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
「正成公の命日は、五月二十五日だが、忌日きじつにこだわる必要はあるまい。正月の五日、ささやかな祭でもり行って、関係者一同に集まってもらおうと考えておるが……」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人に語るもおそれありと、焼き捨てようと考えたが、屋敷ではつい人目があって果せず、父の忌日きじつに、寺へ持って行って、ひそかに処置を託したところ、寺ではまさしく護摩壇ごまだんで焔にしてはくれたが
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)