容保かたもり)” の例文
松平容保かたもりの信頼もあり、隊の勢は日ならずして隆々として揚り、京洛に劃策する勤皇の志士にとつて、陰然たる一大敵国を成すに到つた。
今度は、所司代が、会津の容保かたもりと、かわるそうだが、此奴は、きっと、市中取締が手厳しくなろう。すると、諸国浪士共が、じっとしていまいし——
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
門閥と兵力とにすぐれた会津あいづ藩主松平容保かたもりは、京都守護職の重大な任務を帯びて、新たにその任地へと向かいつつある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「廿七日。晴。会津仙台侯始御処置有之候由始而入耳はじめてにふじ。」松平容保かたもり、伊達慶邦よしくにの処分は是月七日に於てせられた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
蒲生氏郷から上杉景勝、松平容保かたもりまでの城址として、残り少ない日本中の古城址のうちでも、かなり形式の鮮明な方である。ばかりでなく、樹姿、風致もよい。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二 肥後守容保かたもり
新撰組 (新字新仮名) / 服部之総(著)
十七日の夜に参内を急いだのは、中川宮(青蓮院しょうれんいん)、近衛このえ殿、二条殿、および京都守護職松平容保かたもりのほかに、会津と薩州の重立った人たちとわかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
仮名でその実は江州の浪人古高こだか俊太郎と云ひ、八月十八日の政変に就て、深く中川宮と松平容保かたもりを怨み、烈風の日を待つて、火を御所の上手に放ち、天機奉仕に参朝する中川宮を始め奉り
当時、将軍は上洛じょうらく中で、後見職一橋慶喜ひとつばしよしのぶをはじめ、会津藩主松平容保かたもりなぞはいずれも西にあり、江戸の留守役を引き受けるものがなければならなかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
守護職松平容保かたもりのにわかな参内さんだいと共に、九門の堅くとざされたころは、洛中の物情騒然たるものがあった。七月十八日には三道よりする長州方の進軍がすでに開始されたとの報知しらせが京都へ伝わった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)