トップ
>
奉行所
>
ぶぎょうしょ
ふりがな文庫
“
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)” の例文
そのときのお
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
お日誌によると、この年炎暑きびしく、
相撲
(
すもう
)
取り的にて三人蒸し死んだるものある由、と書かれてありますから
右門捕物帖:06 なぞの八卦見
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
急を報ずる合図の
烽火
(
のろし
)
が
岬
(
みさき
)
の空に立ち登り、海岸にある番所番所はにわかにどよめき立ち、あるいは
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
へ、あるいは代官所へと
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「もう大丈夫だよ。たれか酒屋の年よりの縄を解いておやり。それから、この足軽は、
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
へ渡すといいよ。それが一ばんいいよ」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「あなたを
探訪
(
たず
)
ねて来たのよ。」そして彼女は
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
の役人だけが持っている大きな名札を見せた。
青銅の基督:――一名南蛮鋳物師の死――
(新字新仮名)
/
長与善郎
(著)
自然伏見は京大阪を結ぶ
要衝
(
ようしょう
)
として
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
のほかに藩屋敷が置かれ、荷船問屋の
繁昌
(
はんじょう
)
はもちろん、船宿も川の東西に数十軒、乗合の三十石船が朝昼晩の三度伏見の京橋を出るころは
蛍
(新字新仮名)
/
織田作之助
(著)
▼ もっと見る
吹かすわけではないが、このとおり
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
の者が事を割っての頼みじゃから、両人の者にもその旨を申し聞けて、ひとつ目の保養をさせてはくれまいかな
右門捕物帖:14 曲芸三人娘
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
「
民蔵
(
たみぞう
)
、そのほうの
奇策
(
きさく
)
はまんまと
図
(
ず
)
にあたった。こなたより
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
へ
密告
(
みっこく
)
したため、アレ見よ、
沖
(
おき
)
でも、この通りなさわぎをしているわい……小きみよい
悪党
(
あくとう
)
ばらの最後じゃ」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しぜん
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
の宿調べもきびしくなる。
蛍
(新字新仮名)
/
織田作之助
(著)
で、かれは念のためにと思って、お
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
の調書について、そのときの吟味始末を調査にかかりました。
右門捕物帖:01 南蛮幽霊
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
さきに
伊那丸
(
いなまる
)
の
主従
(
しゅじゅう
)
が、
桑名
(
くわな
)
からこの
浜松
(
はままつ
)
へはいってくるという呂宋兵衛の
密告
(
みっこく
)
はきいたが、
容易
(
ようい
)
にそのすがたを
見出
(
みいだ
)
すことができないので、
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
の
牢内
(
ろうない
)
にいる
罪人
(
ざいにん
)
のうちから
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その仏に縁の多い寺社
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
から、不意に不思議なお差し紙が、名人の寝床へ訪れました。
右門捕物帖:29 開運女人地蔵
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
さっそくご
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
までやって参りますと、それがつまり
忍
(
おし
)
行きの命令だったのです。
右門捕物帖:03 血染めの手形
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
あからさまに
奉行所
(
ぶぎょうしょ
)
へ駆けつけてまいることもならず、さりとて捨ておかばお宝の行くえもだいじと生きた心持ちもなく心痛しておったところへ、こちらのお由どのがお越しくださって
右門捕物帖:18 明月一夜騒動
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
“奉行所(
奉行
)”の解説
奉行(ぶぎょう)とは、平安時代から江戸時代にかけての武家における職名の一つ。奉行人(ぶぎょうにん)ともいい、職務を行う役所は奉行所と呼ばれていた。家老の配下で大奉行、奉行があった。
(出典:Wikipedia)
奉
常用漢字
中学
部首:⼤
8画
行
常用漢字
小2
部首:⾏
6画
所
常用漢字
小3
部首:⼾
8画
“奉行所”で始まる語句
奉行所詰
奉行所大激論