優善やすよし)” の例文
渋江の家には抽斎の歿後に、既にいうように、未亡人五百、くが水木みき、専六、翠暫すいざん、嗣子成善しげよしと矢島氏を冒した優善やすよしとが遺っていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
森先生の渋江抽斎しぶえちゅうさいの伝を読んで、抽斎の一子優善やすよしなるものがその友と相謀あいはかって父の蔵書を持ち出し、酒色の資となす記事に及んだ時、わたしは自らわが過去を顧みて慚悔ざんかいの念にえなかった。
梅雨晴 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
矢島優善やすよしは前年の暮に失踪しっそうして、渋江氏では疑懼ぎくの間に年を送った。この年一月いちげつ二日の午後に、石川駅の人が二通の手紙を持って来た。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
此年乙未には蘭軒門人森枳園の家に冢子ちようし約之やくしが生れた。渋江抽斎の家では嫡子恒善つねよしが既に十歳になつてゐて、此年第二子優善やすよしが生れた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
五百の来り嫁した時、抽斎の家族は主人夫婦、長男恒善つねよし、長女いと、次男優善やすよしの五人であったが、間もなく純はでて馬場氏のとなった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
柏軒が此年甲寅に首唱して、矢島優善やすよし、塩田良三りやうさんの二人が計画し、小野令図れいとの家の祝のために催す茶番の事は、塩田氏の語る所が猶残つてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「元碩」は玄碩に作るべきで、渋江抽斎の子優善やすよしが養父の称を襲いだのである。日録に優善の事を記する始である。優善は当時三十六歳であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
後者に署してある名の飛蝶は、抽齋の次男優善やすよし後のゆたか寄席よせに出た頃看板に書かせた藝名である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)