トップ
>
仙洞御所
>
せんとうごしょ
ふりがな文庫
“
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)” の例文
しかしそれらのなかで最も深く教授を感激させたのは、京都の
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
のなかで
清涼殿
(
せいりょうでん
)
の前庭をかこんだ一帯の風趣であったのです。
アインシュタイン教授をわが国に迎えて
(新字新仮名)
/
石原純
(著)
「駈けるぞ」
一鞭
(
ひとむち
)
あてると、箭四郎は坂道にとり残された。やっと、追いついてみると、もう
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
の東門に、主人の姿はそこになかった。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
の出火のうわさ、その火は
西陣
(
にしじん
)
までの町通りを焼き尽くして天明年度の大火よりも大変だといううわさが、京都方面から伝わって来たのもそのころだ。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
それから二十年の間、皇后の特別な愛着がこの寺に集まった。従って尼寺と後宮との交渉が多く、後には
孝謙上皇
(
こうけんじょうこう
)
が住まれて
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
のようになったこともあった。
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
建久九年に土御門天皇が
受禅
(
じゅぜん
)
されると、通親は
外舅
(
がいきゅう
)
として勢力を得、内大臣に昇り、後鳥羽上皇の
院別当
(
いんべっとう
)
となって
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
の実権を握り、
卿二品
(
きょうにほん
)
という女傑と結んで
政
(
まつりごと
)
を左右する。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
▼ もっと見る
そこの
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
と、清盛のいる西八条の
館
(
やかた
)
とは、目と鼻の先だった。物々しい弓馬のうごきは、すぐ六波羅の
御家人
(
ごけにん
)
から
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さては
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
の出火までも引き合いに出して、この異変を何かの前兆に結びつけるものもある。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
そこへ召された
安倍資成
(
あべのすけなり
)
は、二十騎ばかりを
具
(
つ
)
れて、
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
へ、急使として駈けて行った。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
の造営にもかかわったことがあるし、後西院天皇の
御譲位
(
ごじょうい
)
にも、父の
義冬
(
よしふゆ
)
とともに朝幕のあいだに働き、また
践祚
(
せんそ
)
の
賀使
(
がし
)
にも立ったりして、六十歳の今日にいたるまで
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この鞠ぬすみは
伊賀流
(
いがりゅう
)
と
甲賀流
(
こうがりゅう
)
のものが、かつて
信長
(
のぶなが
)
の
在世
(
ざいせい
)
当時、
安土城
(
あづちじょう
)
で試合をしたこともあるし、それよりいぜんには、
仙洞御所
(
せんとうごしょ
)
のお庭さきで
月卿雲客
(
げっけいうんかく
)
の前で、
叡覧
(
えいらん
)
に
供
(
きょう
)
したこともあって
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“仙洞御所”の解説
仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所。
仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
(出典:Wikipedia)
仙
常用漢字
中学
部首:⼈
5画
洞
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
御
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
所
常用漢字
小3
部首:⼾
8画
“仙洞”で始まる語句
仙洞