“ほんこう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
本皓25.0%
本紅25.0%
本工25.0%
本稿25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
寛保二年に十五歳で、この登勢に入贅にゅうぜいしたのは、武蔵国むさしのくにおしの人竹内作左衛門たけのうちさくざえもんの子で、抽斎の祖父本皓ほんこうが即ちこれである。津軽家は越中守信寧のぶやすの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
養父本皓ほんこうの五十八歳で亡くなったのが、天明四年二月二十九日で、信明の襲封しゅうほうと同日である。信明はもう土佐守と称していた。主君が二十三歳、允成が二十一歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それは薄葡萄ぶどうの浜縮緬ちりめん、こぼれ梅のすそ模様、ふき緋縮緬ひぢりめんを一分程にとって、本紅ほんこうの裏を附けたのでした。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それは本紅ほんこうの胴裏を附けた変縞かわりじまの糸織で、八つ口の開いた女物に袖を通させて、折込んだ広襟を後から直してやれば、優形やさがたな色白の歯医者には似合って見えました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
結局は労働者全体(工場から見れば本工ほんこうを雇うときに)の賃銀を引き下げるのに役立つのである。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
昭和二年十月しようわにねんじゆうがつ、プラーグにける地震學科ぢしんがくか國際會議こくさいかいぎ出席しゆつせきしたかへみち大活動だいかつどうひんせるヴエスヴイオをひナポリから郵船ゆうせん筥崎丸はこざきまる便乘びんじようし、十三日じゆうさんにちアデンおき通過つうかするころ本稿ほんこうしる
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)