本皓ほんこう)” の例文
寛保二年に十五歳で、この登勢に入贅にゅうぜいしたのは、武蔵国むさしのくにおしの人竹内作左衛門たけのうちさくざえもんの子で、抽斎の祖父本皓ほんこうが即ちこれである。津軽家は越中守信寧のぶやすの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
養父本皓ほんこうの五十八歳で亡くなったのが、天明四年二月二十九日で、信明の襲封しゅうほうと同日である。信明はもう土佐守と称していた。主君が二十三歳、允成が二十一歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小野氏ではこの年令図れいとが致仕して、子富穀ふこくが家督した。令図は小字おさなな慶次郎けいじろうという。抽斎の祖父本皓ほんこうの庶子で、母を横田氏よのという。よのは武蔵国川越かわごえの人某のむすめである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)