“しもつけのくに”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
下野国80.0%
下野國20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
下野国しもつけのくに芳賀郡はがごおりの大内のしょうとよぶ土地だった、そこの柳島に、一粒の念仏の胚子たねがこぼれたのは、二、三年前だった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
露というすずりも将来したが竹生島へ納むとあり、太刀は勢州赤堀の家にあり、避来矢ひらいしの鎧は下野国しもつけのくに佐野の家にあり、童は思う事をかなえて久しく仕えしが、後にきつう怒られてせしとかや
下野國しもつけのくに日光山につくわうざん鎭座ちんざまします東照大神とうせうだいじんより第八代の將軍しやうぐん有徳院吉宗公いうとくゐんよしむねこうしようたてまつるは東照神君とうせうしんくんの十一なん紀伊國きいのくに和歌山わかやま城主じやうしゆたか五十五萬石をりやうするじゆ大納言光貞卿だいなごんみつさだきやうの三なんにて幼名えうみやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
將軍家光は日光へ參詣して、下野國しもつけのくに宇都宮に泊つてゐるので、利勝は正俊を宇都宮へ遣つて訴へさせた。そこで稻葉丹後守正勝が熊本へ上使に立つて、忠廣は江戸へ召し寄せられることになつた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)