越後えちご)” の例文
いつか越後えちごの人がこの娘を見て、自分の国は女の美しい国だが、おとよさんのように美しいのは、見たことがないと云ったそうである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
余がむかし越後えちごにいて、ある田舎の妖怪屋敷を探検したことがある。その家は大なる茅屋ぼうおくにして、裏には深林と墓場とがあるのみだ。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
弘治こうじ三年(一五五七)七月、越後えちごのくに春日山かすがやまの城中では、いま領主うえすぎ謙信けんしんを首座として、信濃しなのへ出陣の軍議がひらかれていた。
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
右岸に見られるのは、かえでうるしかばならたぐい。甲州街道はその蔭にあるのです。忍耐力に富んだ越後えちご商人は昔からここを通行しました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
なにしろ土佐とさの国と越後えちごの国ではとても再会のできないのは知れていますからね。それに法然聖人ほうねんしょうにんは八十に近い御老体ですもの。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
この子ども組の最もよく発達しているのは、信州北部から越後えちごへかけてであるが、他にも飛び飛びにこれが見られる土地は多い。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
拙者主家しゅうかの御領分越後えちご高田たかたよりの便たよりによれば、大伴蟠龍軒似寄によりの人物が、御城下にきたりし由、多分越後新潟辺にるであろうと思われます
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
同じ越後えちごの柏崎出のあの伊豆屋伍兵衛を蹴落けおとして、この筆屋が成り変ってお城の御用を仰せつかることも出来ようというものだ
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
むかしのことで、越後えちごからみやこのぼるといえば、幾日いくにちも、幾日いくにちたびかさねて、いくつとなく山坂やまさかえてかなければなりません。
松山鏡 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
越後えちご衆の義勇に富むことや辛抱強さは、つとに、四隣に聞えていますが、かように無邪気で、多芸の士が多いとは、いや初めて知りましたな」
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遊興の取持とりもちを勤めと心得ているらちもないてあいばかりだが、新規に目附になった押原右内おしはらうないという男は、お家騒動で改易になった越後えちごの浪人者で
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えちご笹飴ささあめが食べたい」
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
(はがき)今日きょう越後えちご新津にいつを立ち、阿賀野川あがのがわの渓谷を上りて会津あいづを経、猪苗代いなわしろ湖畔こはんの霜枯れを圧する磐梯山ばんだいさんのすさまじき雪の姿を仰ぎつつ郡山こおりやまへ。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
銀子も言っていたのだったが、ある時越後えちごの親類の織元から、子供たちに送ってくれた銘仙めいせんを仕立てて着せた時の悦びも、思い出すと涙の種であった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
越後えちごの寒村から出て来て、柳原河岸がしに古本の店を出していた時分は、いまだ時節が到来せず、かなりな苦境におち、赤貧のおりもあったが、姑は良き妻
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
明応八年にはまた上杉うえすぎ氏に招かれて越後えちごに行き滞留二年、文亀ぶんき二年に門弟宗長そうちょうを伴って関東へ出、川越に行き、箱根湯本ゆもとに到って旅に死んだ。年八十二。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
互いにむつみ合うはおろかの事、かえって交互たがいに傷つけ合い、甲斐かいの武田は越後えちごの上杉、尾張おわりの織田、駿河するがの今川
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
美少年滝之助は越後えちご関川宿せきかわじゅくの者、年齢としは十四歳ながら、身の発育は良好で、十六七にも見えるのであった。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
明治元年の七月、越後えちごの長岡城が西軍のために落された時、根津も江戸を脱走して城方しろかたに加わっていた。落城の前日、彼は一緒に脱走して来た友達に語った。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
利根とね水源すゐげん確定かくていし、越後えちごおよ岩代いわしろ上野かうずけの国境をさだむるを主たる目的もくてきとなせども、かたは地質ちしつ如何いかん調査てうさし、将来しやうらい開拓かいたくすべき原野げんやなきやいなや良山林りやうさんりんありやいなや
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
五、六年前までは、遠い越後えちごの山の中から来るという、角兵衛獅子かくべえじしの姿も、麦の芽が一寸くらいになった頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
不断は何の気も附かない宅の主人が、「あの人は越後えちごではなかろうか」といいますので、顔馴染かおなじみになった時聞きましたら、やはりそうでした。近親という事です。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
初め巻菱湖まきりょうこに学び後市河米庵の門人となった。越後えちご長岡の藩主牧野備前守忠恭から扶持米を受けている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いううちに右門は立ち上がったもので——荒い弁慶じまの越後えちご上布に、雪駄せった華奢きゃしゃな素足をのせながら、どうみてもいきな旗本のお次男坊というようないでたちで
越後えちご高田たかだだとか陸中の花輪はなわだとか、雪の深い町では好んで設けます。その冬の日、この小店を縫って、店を次から次へと見て歩くのは、旅する者の眼を忙しくさせます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そのみづちが仏国のドラク同様変遷したものか今日河童を加賀、能登でミヅチ、南部でメドチ、蝦夷えぞでミンツチと呼ぶ由、また越後えちごで河童瓢箪ひょうたんを忌むという(『山島民譚集』八二頁)。
その一番大切な所以ゆえんは、当時の人々の雪害防止策と、現代の東北や越後えちご地方の人々の採っている対策とが、ほとんど同じものであって、現代日本の文化的あるいは科学的の施設が
語呂の論理 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
見知越みしりごしじんならば、知らせてほしい、何処そこへ行って頼みたい、と祖母としよりが言うと、ちょいちょい見懸ける男だが、この土地のものではねえの。越後えちごく飛脚だによって、あしはやい。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
マア坊には、たしなみのない、本質的な育ちのいやしさがある。本当に、越後えちごの言うように、母親がいけない人だったのかも知れない。落ちついて考えるにしたがって、腹が立って来た。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
尾張おわりをかけぬけて信濃しなのにはいり、とうとう越後えちごのあたりまでつけて行きました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
機屋はたやの亭主が女工を片端かたはしからかんして牢屋ろうやに入れられた話もあれば、利根川にのぞんだがけから、越後えちごの女と上州じょうしゅうの男とが情死しんじゅうをしたことなどもある。街道に接して、だるま屋も二三軒はあった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
追分の宿に帰ったら、思いがけず田部たなべ重治さんが来ていられた。越後えちごの湯沢とかへ兼常かねつねさんやなんかとスキイに行かれたお帰りだとか。皆と高崎で別れて、お一人だけわざわざこちらに寄られた由。
雉子日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
右手は越後えちご越中えっちゅう、正面は信濃しなの飛騨ひだ、左手は甲斐かい駿河するが。見わたす山々は、やや遠い距離を保って、へりくだっていた。しかも彼らは、雪もて、風もて、おのれを守り、おのれの境をまもっていた。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
大阪の天王寺かぶら、函館の赤蕪あかかぶら、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及びかん類、越後えちごさけ粕漬かすづけ足柄あしがら唐黍とうきび餅、五十鈴いすず川の沙魚はぜ、山形ののし梅、青森の林檎羊羹りんごようかん越中えっちゅう干柿ほしがき、伊予の柚柑ゆずかん備前びぜんの沙魚
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
オケヂャもしくはウケヂャという食物は、日本海側では越後えちご出雲いずも、太平洋側では紀州の熊野くまの備中びっちゅうあたりにも分布している。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
越後えちご路から長野の方へ出まして、諸方ほうぼうを廻って参りました。これから寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
見ていろ、越後えちごの上杉も、本願寺も、中国の毛利だって、何だって、おれの鍛冶小屋の鞴でみんな焼き溶かしてくれるから
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これに類したる話を、越後えちご高田に滞在中にも聞いている。同所の春日町にてかなりの財産ある家で、一人の娘と母親のみにて暮らしていたものがある。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
越後えちご笹飴ささあめが食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分じゅうぶんある。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
死んだ親爺おやじさんは越後えちごの三条の人で、呉服物をもってよく先生のとこへ行ったもんだそうですよ。その人は亡くなって、息子むすこさんが今の主人なんですの。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
長いこと上方かみがたから越後えちごのほうとか、指物職をしながらいろんなところをまわり歩いたが、親きょうだいの顔が見たくなって帰って来た、そんなことを云ってました
あすなろう (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
越後えちご春日かすがを経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をえたばかりの女で、二人の子供を連れている。姉は十四、弟は十二である。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
国は越後えちごだが、江戸へ来るたんびにちょくちょくあっしをたずねてお屋敷へも来たことがあるんでね、友だんなさまの顔だちはよく見知っておるし、なにをいうにも
右門捕物帖:30 闇男 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
かれは、伊豆伍と同じ、越後えちご柏崎かしわざき出の商人で、同郷なればこそ一層、昔から伊豆伍と筆幸は、激しい出世競争の相手だったのだ。その伊豆伍を倒す絶好の機会である。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ともかく私が蒐集しゅうしゅうした経験によれば越後えちごから北陸、山陰から山陽に沿う港で発見せられた。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
善鸞 私の母は稲田いなだのある武士の娘でした。父が越後えちごにいる時に父の妻はなくなりました。父は諸方を巡礼して稲田に来て私の母の父の家に足を止め、稲田に十五年すみました。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
越後えちごへ行っては上杉家へ仕え、会津あいづへ行っては蘆名あしな家へ仕え、奥州おうしゅうへ行っては伊達だて家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸ひたちへ行っては佐竹家へ仕え、結城ゆうきへ行っては結城家へ仕え
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この間還俗されて宗良の御俗名を用いられ、伊勢いせ遠江とおとうみ越後えちご越中えっちゅう等におられたが、おもには信州におられたので、信州大王と申しあげている。後村上天皇崩御になり、親房も薨去した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
阿波の高市たかまちに来た旅役者の嵐雛丸あらしひなまるも殺された。越後えちご縮売ちぢみうりの若い者も殺された。それからきょうの旅画師に小田原おだわらの渡り大工。浮島うきしま真菰大尽まこもだいじんの次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
とまだ少年しょうねん角兵ヱかくべえこたえました。これは越後えちごから角兵ヱ獅子かくべえじしで、昨日きのうまでは、家々いえいえしきいそとで、逆立さかだちしたり、とんぼがえりをうったりして、一もんもんぜにもらっていたのでありました。
花のき村と盗人たち (新字新仮名) / 新美南吉(著)