せゐ)” の例文
呂昇なぞも、女義太夫としては外貌そつぽもよし、声もよいが、平常ふだん咽喉を使ひ過ぎるせゐで、首がぼうくひのやうにがつしりと肥つてゐる。
然し初めは、自分も激して居るせゐか、しかとは聞き取れなかつた。一人は小使の聲である。一人は? どうも前代未聞の聲の樣だ。
雲は天才である (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
まあ、十人が十色のことを言つて、けなしたりくさしたりする、たまに蓮太郎の精神をめるものが有つても、寧ろ其を肺病のせゐにしてしまつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
そればかりでも身躰からだ疲勞ひらうはなはだしからうとおもはれるので種々いろ/\異見いけんふが、うもやまひせゐであらうか兎角とかくれのこともちひぬにこまりはてる
うつせみ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
電車道の、鋪石ペーヴメントが悪くなつてゐるせゐか、車台は頻りに動揺した。信一郎の心も、それに連れて、軽い動揺を続けてゐる。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
源太郎は年のせゐで稍曲つた太い腰をヨタ/\させながら、銀場の横の狹い通り口へ一杯になつて、角帶の小さな結び目を見せつゝ、背後うしろの三疊へ入つた。
鱧の皮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
その幼時のあまい記憶が大きくなつて落魄おちぶれた私によみがへつて來るせゐだらうか、全くあの味には幽かなさはやかな何となく詩美と云つたやうな味覺が漂つてゐる。
檸檬 (旧字旧仮名) / 梶井基次郎(著)
第一に年齢としちがせゐもあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ豪邁がうまい性質たち、奥方は町家の秘蔵娘ひざうむすめひまが有つたら三味線を出して快活はれやか大津絵おほつゑでも弾かう
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
その泣いたのもそのせゐであつたかも知れない。多喜子はその瞬間その父親と一緒にゐた若い美しい女の顔やら眉やらをはつきりと頭に浮べることが出来たと思つた。
父親 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
それを自分の莫迦ばからしい気のせゐであるといかに思ひ、その不快な幻影を払ひ退けようと頭を打ち振り乍らも脳裡にこびりついた孫四郎の顔は只孫四郎の顔とは思へず
ると、とこなんにもない。心持こゝろもち十疊じふでふばかりもあらうとおもはれる一室ひとまにぐるりとになつて、およ二十人餘にじふにんあまりをんなた。わたしまひがしたせゐ一人ひとりかほなかつた。
怪談女の輪 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
お藤さんの如きは勿論その人で、常々お雪さんを好く言つてゐなかつた。四条の家を潰し、伯父の跡を絶やして了つたのも、みなお雪さんのせゐだとさへ言つてゐるのだつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
ヂュリ おゝ、如何どうせうぞ! こゝろめがいまはしい取越苦勞とりこしぐらうをさせをる。したにゐやしゃるのを此處こゝからると、どうやらはかそこ死人しにんのやう。せゐらねども、おまへかほあをゆる。
何しろひやツこくなつた人間ばかり扱ツてゐるせゐか、人間が因業いんごふに一酷に出來てゐて、一度うと謂出したら、首が扯斷ちぎれてもを折はしない。また誰が何んと謂ツても受付けようとはせぬ。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
婦人が人と争ふのに、剣の代りに舌を使つたのはすばらしい発明であるが、そのせゐで彼等は襟釦えりぼたんのとめどころを変へる必要がなくなつた。
社長が珍重してるだけに恐ろしく筆の立つ男で、野村もそれを認めぬではないが、年が上なせゐどうしても心から竹山に服する気にはなれぬ。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
『どうしても其様そんなことは理窟に合はん。必定きつと神経のせゐだ。一体、瀬川君は妙に猜疑深うたがひぶかく成つた。だから其様そんな下らないものが耳に聞えるんだ。』
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
源太郎は年のせゐやゝ曲つた太い腰をヨタ/\させながら、銀場の横の狭い通り口へ一杯になつて、角帯の小さな結び目を見せつゝ、背後うしろの三畳へ入つた。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
そのあつせゐだつたのだらう、にぎつてゐるてのひらから身内みうちに浸み透つてゆくやうなそのつめたさはこころよいものだつた。
檸檬 (旧字旧仮名) / 梶井基次郎(著)
が、この親子の間柄あひだといふものは、祖父が余り過度に愛したせゐでもあらうが、それは驚くばかりひやゝかで、何かと言つては、き親子で衝突して、なぐり合ひを始める。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
青木さんが、自殺の決心をしたとしても、それはわたくしせゐではありません、あの方の弱い性格のせゐだと、その婦人は云つてゐるのです。そればかりではありません……
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
物堅ものがたい和上もわかいので法力はふりきうすかつたせゐか、入寺にふじの時の覚悟を忘れて其の娘をもらふ事にめた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
左樣さうなんかねえ、年紀としせゐもあらう、ひとツは氣分きぶんだね、おまへさん、そんなにいやがるものを無理むりべさせないはういよ、心持こゝろもちわるくすりや身體からだのたしにもなんにもならないわねえ。
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
をんなせまいもの、つとつては一時いつとき十年じふねんのやうにおもはれるであらうを、おまへおこたりをわしせゐられてうらまれてもとくかぬことよる格別かくべつようし、はやつていてるがよからう
うらむらさき (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「日本の珍味です。東洋では主に僧侶ばうさんの食物たべもので、僧侶ばうさんが賢くて、おまけに長命なのは、みんなこの食物たべものせゐだといはれてゐます。」
不安な眼付をした老爺おやぢと其娘だといふ二十四五の、旅疲労たびづかれせゐか張合のない淋しい顔の、其癖何処か小意気に見える女。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
思ひしのせゐか、袖ヶ浦の向うに見える一帶の山々までが横になつて、足でもそこへ投げ出してゐるかのやうでもある。それがのんびりとした感じを人に與へる。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
父の犯した罪が子のわたくしに報いて来たのです。お母様のせゐでは決してありませんわ。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
これは大方東京で余り「老いたる夫と若い妻」との一行を見馴れたせゐであらう。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
昨夜ゆふべはチツとも気がつかなかつたですが、無論読んだには読んだ筈なんで、多分「父が死んだ」といふ、たゞそれ丈けで頭が一杯だつたせゐでせう。
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そのまじなひのせゐうかは知らないが、主殿頭は、身分不相応に出世して、紀州藩の小役人から老中らうぢゆうにまでなつた。それを噂に聞いた当時の人達は
混雑する旅人の群にまぎれて、先方さきの二人も亦た時々盗むやうに是方こちらの様子を注意するらしい——まあ、思做おもひなしせゐかして、すくなくとも丑松には左様さうれたのである。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
水の味といつては、また格別のもので、京都には茶人が多かつたせゐで、水自慢の古い井戸が未だに方々に残つてゐる。
茶話:12 初出未詳 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
昨夜はチッとも氣がつかなかつたのですが、無論讀んだには讀んだ筈なんで、多分「父が死んだ」といふ、たゞそれ丈けで頭が一杯だつたせゐでせう。
雲は天才である (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
と、ついぼやくやうにいふ事がある。自分の病気を不品行ふしだらせゐだとばかし思つてゐる患者は、それが羅馬字と関係があると聞いて、大抵は一寸吃驚びつくりする。
智恵子は、胸を欄干に推当てたせゐか、幽かに心臓の鼓動が耳に響く。そのにも崖の木の葉が、光り又消える。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
忠太がヒョットコの眞似をして見せたのも、「アンナ奴」と馬鈴薯の叫んだのも、自身の顏の見えぬせゐでもあらうが、然し左程當を失して居ない樣にも思はれる。
雲は天才である (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
そのせゐかして、今では浦塩の市街まちで、湯沸サモワルは滅多に見つからなくなり、以前は十五六円だつたものが、今では六七十円も出さなければ容易に手にらなくなつた。
(事によつたら、その牧師が居たせゐで、神様の方が逃出されたのかも知れない。)その牧師はいつも判り切つた事を長つたらしく喋舌しやべり続けるので名高い男だつた。
甲田は、それは貴方が独身でゐるせゐだと批評した。そして余程穿うがつた事を言つたと思つた。
葉書 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そのせゐで、不折氏の門札はいつもさらだ。そしてその六朝文字が初めから段々とちがつて来てゐる。
斯う思ふのは、彼が年中青い顔をしてゐるヒステリイ性の母に育てられ、生来うまれつき跛者ちんばで、背が低くて、三十になる今迄嫁にも行かずに針仕事許りしてゐる姉を姉としてゐるせゐかも知れぬ。
葉書 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
殿様はそのせゐで四五十日ばかり傷療治をしなければならなくなつたが、傷が治つたあとでも、別段賢くはなつてゐなかつた。賢くなるには余りにとしを取り過ぎてゐたから。
旅疲勞たびつかれせゐか張合のない淋しい顏の、其癖何處か小意氣に見える女。
赤痢 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
だが、その紳士は余り念入りに髪の毛に香水を振りかけてゐたせゐで、入つて来るのが二分がた遅過ぎた。何処を見渡しても椅子一ついてゐないので、紳士は少しどぎまぎした。
このぢゆう市街まちの景気のいゝのもみんな自分のせゐのやうに思はれて、通りがかりの市会議員も博多織の織元も、狗も、電信柱も、一緒に腰をかゞめて自分の前にお辞儀をして居るやうに思はれ出した。
ところが、この頃になつて急に樹に元気がなくなつたので、うした事かと、よく調べてみると、隣りの旅籠屋はたごやから出入ではひりする馬車のせゐで、車の肩が突き当る度に、樹肌こはだが擦りむけてゐたのだと判つた。
音楽のいい悪いは楽器のせゐぢやなくて、音楽家の腕であると。