まさ)” の例文
旧字:
是の如く、観ずる時、まさに、縛字を一切の身分に遍して、その毛孔中より甘露を放流し、十方に周遍し、以て一切衆生の身にそそがん。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
もと汗吐下の三法は張仲景ちやうちゆうけいに至つて備はつたから、従正はまさに仲景を祖とすべきである。然るに此に出でずして、溯つて素問を引いた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
きじき竜戦ふ、みづからおもへらく杜撰なりと。則ち之を摘読てきどくする者は、もとよりまさに信と謂はざるべきなり。あに醜脣平鼻しうしんへいびむくいを求むべけんや。
およそ人事を区処くしょする、まさずその結局をおもんぱかり、しかして後に手を下すべし、かじきの舟をなかれ、まときのを発するなかれ」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
吾の得失、まさに蓋棺の後を待って議すべきのみ〔隠然自負、けだし松陰直情径行けいこうといえども、また臨機応変的長州気質を免がるあたわざるなり〕。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
そして縷々るるとして霊の恋愛、肉の恋愛、恋愛と人生との関係、教育ある新しい女のまさに守るべきことなどに就いて、切実にかつ真摯しんしに教訓した。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
既に方向を同じくしている以上、三女史も私も互に敵視すべき間柄でなく、私たちはまさつとめて、その共通の目的の上に親み合わねばなりません。
されど又予を目して、万死の狂徒とし、まさしかばねに鞭打つて後む可しとするも、予に於てはがうも遺憾とする所なし。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
太祖のことばに、われは乱世を治めたれば、刑重からざるを得ざりき、なんじは平世を治むるなれば、刑おのずからまさかろうすべし、とありしも当時の事なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
まさに前の呪を誦持じゅじして、我が至るを希望けもうすべし。我その時に於て即ち是人このひとを護念し、観察し、来りてその室に入り、座につきて坐し、その供養をうけん。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
粕谷かすやの夫妻は彼女を慰めて、葛城が此等の動揺はまさに来る可き醗酵はっこうで、少しも懸念す可きでないとさとした。然しおけいさんの渡米には、二念なく賛同した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その間孜孜ししとして之をつとめば、まさに事として成らざるなかるべし。老禅の一語、実に虚しからざる也、古人学業終身を期せんのみ。汝等深く思うてこれを勉めよ。
洪川禅師のことども (新字新仮名) / 鈴木大拙(著)
右の新国字の数と種とは、今正確に分類出来ないけれども、新井白石の同文通巻によれば「峠」の如きも、まさにその時代に造らしめられた国字の一つに相違ない。
「峠」という字 (新字新仮名) / 中里介山(著)
夫れ大人ひじりのりを立つる、ことわり必ず時に随ふ。いやしくも民にくぼさ有らば、何ぞ聖造ひじりのわざたがはむ。まさ山林やま披払ひらきはら宮室おほみや経営をさめつくりて、つゝしみて宝位たかみくらゐに臨み、以て元元おほみたからを鎮むべし。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
年二十。こう既ニ亡シ。マサニ遺命ヲ奉ジテ遊学セントスルヤ、コレヲ戒メテ曰クワガ門なかゴロ𡉏やぶル。なんじまさニ勉学シテ再興スベシ。然ラザレバワレ汝ヲ子視セジト。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まさに掖廷にれて、后宮の数につべしと。天皇ゆるす。……丹波の五女をして、掖廷に納る。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
然かも欧陽公必ず誤まらざらん、まさに更にひろく旧制をかんがふべき也。(老学庵筆記、巻七)
「——先帝の名はなり。備は、そなうるなり、またそなうるを意味す。後主のいみなは禅にしてゆずるの意をもつ。すなわち禅り授くるなり。劉氏は久しからずしてまさに他へそなゆずるべし」
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの仏遺教経の遠離功徳分にあるごとく「寂静無為の安楽を求めんと欲す」る比丘びくは「まさ憒閙かいどうを離れて独処に閑居かんきょし」「当に己衆他衆を捨てて空間に独処し」なくてはならない。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
私の心は今、来るべき時代につながる。しかし私は単なる時間の経過に未来をえがいているのではない。私はその継続に向って「まさにかくあるべき」内容を盛りつつ進まねばならない。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
後世歴史法学の始祖といえばサヴィニー、比較法学の始祖といえばモンテスキューと誰しも言うが、この二学派の開祖たる名誉は、まさにライブニッツに冠せしむべきではあるまいか。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
「民衆」はまさにその日を待つべきであります。
演劇一般講話 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
其堂ニ造ラント欲シ其ししむらくらハント欲スル者ハまさニ洋籍ヲ不講ニ置ク可カラザルナリ是レ洋籍ノ結構所説ハ精詳微密ニシテ遠ク和漢ノ書ニ絶聳スレバナリ雖然しかりといえども是レ今時ニ在テ之ヲ称スルノミ永久百世ノ論トスルニ足ラザルナリ
鳳頭鞋子ほうとうあいしを着け得てすなわまさに来るべし
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
まさに知るべし、是の時に仏は大光明を
美の日本的源泉 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
石川の通称は諸文書に或は貞白に作り、或は貞伯に作つてあつて一定しない。津山未亡人の説に従へばまさに貞白に作るべきである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ひとるはかたくしてやすく、みずかるはやすくしてかたし、ただまさにこれを夢寐むびちょうもっみずかるべし、夢寐むびみずかあざむあたわず」と。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
貴船まさにこの地に来るべしと聞き、期に先んじて来り待ち、一小舟をかすめて以て貴舟に近づかんと欲すれども未だ能わず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
洪武十七年、太祖高皇帝の御恩ぎょおんこうむりて、臣が孝行をあらわしたもうをかたじけなくす。巍すでに孝子たる、まさに忠臣たるべし。孝に死し忠に死するは巍の至願也。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
狩野芳涯かのうはうがい常に諸弟子しよていしに教へていはく、「ぐわの神理、唯まさ悟得ごとくすべきのみ。師授によるべからず」と。一日芳涯病んです。たまたま白雨天を傾けて来り、深巷しんかうせきとして行人かうじんを絶つ。
私はこれを「いつまさに共に西牕の燭をりて、かへつて巴山夜雨の時をかたるべき」と読む。
閑人詩話 (新字旧仮名) / 河上肇(著)
抑又はたまた塩土老翁しほつちのをぢに聞きしに曰く、東に美地よきくに有り、青山四周よもにめぐれり、……われおもふに、彼地そのくには必ずまさに以て天業あまつひつぎのわざ恢弘ひろめのべ天下あめのした光宅みちをるに足りぬべし、けだ六合くに中心もなかか。……何ぞきてみやこつくらざらむや。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
帰心きしん矢の如きものあるべきは、情においても、理においても、まさにしかるべきところがあるが、今では、もう義理にも人情にも泣こうという涙はれて、ただただ血に渇く咽喉のどが拡大し
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「汝等沙門まさに愛欲を捨つべし」という。しかし俗人が魚鳥を殺し愛欲に生くることは何の罪とも認められない。このことは戒律から「万人の踏むべき道」としての普遍的な意味を奪う。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
惟当斯辰 まさときいて
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まさに喜歓すべし
翩翩 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
その状まさに行うべき所を行う如くであったので、抽斎はとかくの意見をその間にさしはさむことを得なかった。しかし中心には深くこれを徳とした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
東角門の言は、すなわち子澄七国しちこくの故事を論ぜるの語なり。子澄退いて斉泰せいたいと議す。泰いわく、えん重兵ちょうへいを握り、かつもとより大志あり、まさこれを削るべしと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
制行狂暴にして、弱冠より而還このかた、しばしば重典を犯す。而れども不幸にして遂に法に死せざりき。二十九年間を回顧すれば、まさに死すべきもの極めて多し。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
僧徳洪妄云ふ、更はまさに平声に読むべしと。なんぞ是あらんや。(老学庵筆記、巻六)
これを見て大将の土方歳三が、しまった! と叫んだのも、もとよりまさしかるべきところで、人違いの失策もあろうが、島田虎之助がそのころ一流の剣法であったことを知らないはずはない。
君もし血気の壮士なりとせんか、まさ匕首あひくちを懐にして、先生を刺さんと誓ひしなるべし。その文を猥談と称するもの明朝に枝山しざん祝允明しゆくいんめいあり。允明、字は希哲きてつをさなきより文辞を攻め、奇気はなはだ縦横なり。
八宝飯 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
是より後まさにかの人をして睡夢の中に我を見るを得しめん。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
これに反して経史子集のまさに刻すべくして未だ刻せられざるものは、その幾何いくばくなるを知らない。世に伝ふる所の松崎慊堂かうだう天保十三年の上書じやうしよがある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
それにると、将門が在京の日に比叡ひえいの山頂に藤原純友すみともと共に立つて皇居を俯瞰ふかんして、我は王族なり、まさに天子となるべし、卿は藤原氏なり、関白となるべし、と約束したとある。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「詩を学べばまさに陶を学ぶべく、書を学べば当に顔を学ぶべし」としてある。
笠翁りゅうおうは昔詳細に、支那の女の美を説いたが、(偶集巻之三、声容部)未嘗いまだかつてこの耳には、一言も述べる所がなかった。この点では偉大な十種曲の作者も、まさに芥川龍之介に、発見の功を譲るべきである。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
これも亦凡人である以上は人情のまさに然るべきところだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)