弥生やよい)” の例文
旧字:彌生
中二日おいて、松尾まつおという老女と弥生やよいという妹をれて市蔵が来た。酒やさかなの材料や道具などが運ばれて、松尾と弥生が厨におりた。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
折しも弥生やよいの桜時、庭前にわさき桜花おうかは一円に咲揃い、そよ/\春風の吹くたびに、一二輪ずつチラリ/\とちっる処は得も云われざる風情。
あの根津の曙の里の故小野塚鉄斎先生の娘弥生やよいに思われて、嫌ってはすまぬと知りながら、ああしてみずから敗をとって弥生を泣かした。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
熱海の土地は気候が長閑のどかで、寒のうちも、水がぬるみ、池には金魚がひらひらと、弥生やよいの吉野、小春日の初瀬を写すおもかげがある。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
くれない弥生やよいに包む昼たけなわなるに、春をぬきんずるむらさきの濃き一点を、天地あめつちの眠れるなかに、あざやかにしたたらしたるがごとき女である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
清元きよもと倉太夫の子だというがそれはもらいっで、浜町花屋敷の弥生やよいの女中をしていた女が、わらの上から貰った子を連れて嫁入ったのだとも言った。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
まれなる田舎には珍らしき大木なれば弥生やよいの盛りには路行く人足をとどめて、かにかくと評しあへるを、われはひそかに聴きていと嬉しく思ひぬ。
わが幼時の美感 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
〽よし足引の山めぐり、四季のながめも面白や、梅が笑えば柳が招く、風のまにまに早蕨さわらびの、手を引きそうて弥生やよい山……
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
書斎には、石斧、ハニワ、石鏃、首飾りなど、弥生やよい式もあれば、縄文式もある。こういう書斎は、ほかに類がない。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
根津ねづの低地から弥生やよいおか千駄木せんだぎの高地を仰げばここもまた絶壁である。絶壁のいただきに添うて、根津権現ごんげんの方から団子坂だんござかの上へと通ずる一条の路がある。
あの、薄暗い「弥生やよい」というバーでお酒を飲みました。そうして、久し振りで酔いました。酔っても、僕は気取っていた。「わかい時から名誉を守れ!」
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その日は春も弥生やよい半ばで、霞のめた遠山のけしき、ところ/″\の谷あいの花の雲などに誘われて、ついうか/\と逍遥しょうようしてみたくなったのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
さくら、さくら、弥生やよいの空は、見渡す限り。かすみか雲か、においぞ出づる。いざや、いざや、見に行かん。
雪の日 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
過ぎし弥生やよいの廿四日、平家の一門はことごとくこの海に沈んだ。きのうきょうとは思えども、数うれば早やふた月を過ぎて、きょうはあたかも御命日じゃぞ。
平家蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
紀州田辺の紀の世和志と戯号した人が天保五年に書いた『弥生やよいいそ』ちゅう写本に、厳島いつくしまの社内は更なり、町内に鹿夥しく人馴れて遊ぶ、猴も屋根に来りてつどう。
家族一同の健康もすっかり恢復かいふくした。しかも、時は弥生やよい、早い桜がチラホラ咲き初めようという季節だ。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と、馬上、弥生やよいの空の下へ出たが、まだ気懶けだるく、麗子のからだの香までが、心の奥にのこっていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤十郎どのの伊左衛門いさえもんは、いかにも見事じゃ、が、われらは幾度見たか数えられぬ程じゃ。去年の弥生やよい狂言もたしか伊左衛門じゃ。もう伊左衛門には堪能いたしておるわ。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
朝から酒を飲みすごし、夕方の四時には、まったく体が動けなくなって、あの広い弥生やよいおかの運動場の上にたおれ、友にたすけられて寄宿寮に運びこまれたこともあった。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
そして、それを見て居ると、小鳥や、星や、三月弥生やよいのことなどが思い出されるのであった。
少年・春 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
ちょうど縄文じょうもん期と弥生やよい式期の境目さかいめの頃に、この国へは籾種もみだねが入ってきて、それから今のような米作国に、追々と進展したということらしいが、それがまず自分には承服しがたい。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
蓑市で最も有名なのは江戸の浅草あさくさであった。『東名物鹿子あずまめいぶつかのこ』に「弥生やよいの中の八日、近郷より蓑を持ち寄りて浅草寺せんそうじの門前にあきなふ。是を浅草のみのいちといふ。蓑市や桜曇さくらぐもりの染手本そめでほん
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
遅れ咲きの八重やえざくらが、爛漫らんまんとして匂う弥生やよいのおわり頃、最愛の弟子君川文吾きみかわぶんごという美少人を失って、悲歎やるせなく、この頃は丹青たんせいの能をすら忘れたように、香をねんじて物を思い
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
塵塚ちりづかに菜の花咲ける弥生やよいかな
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
妹たちが来たとき弥生やよいはちょうど独りだった。良人おっと三右衛門さんえもんはまだお城から下らないし、与一郎も稽古所から帰っていなかった。
日本婦道記:風鈴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
故小野塚鉄斎の従弟いとこで、鉄斎亡きこんにち、娘の弥生やよいを養女格にひきとって、何かと親身に世話をしている麹町こうじまち三番町の旗本土屋多門つちやたもんであった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
石にはこけが薄青く吹き出して、灰を交えたむらさきの質に深く食い込む下に、枯蓮かれはすじくがすいすいと、去年のしも弥生やよいの中に突き出している。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もみじのような手を胸に、弥生やよいの花も見ずに過ぎ、若葉の風のたよりにもの声にのみ耳を澄ませば、生憎あやにく待たぬ時鳥ほととぎす
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その年も何時いつしか暮れて、また来る春に草木くさきいだしまする弥生やよい、世間では上野の花が咲いたの向島が芽ぐんで来たのと徐々そろ/\騒がしくなって参りまする。
しかし清らかな千曲川の水へ、桜の花弁が散り浮く頃、弥生やよいも末のく春の頃に、彼女は住みなれた篠井の里を、未練気もなく振り棄てて遠い旅路に出たのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
土の上はしっとりと湿しめっていて、空気の肌ざわりはつめたいのだけれども、空は弥生やよいのものらしくうっすらと曇って、朧々ろう/\と霞んだ月が花の雲を透して照っているので
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
だが、もう一とき時が経ちますと、蕋も花弁も分ちなく月日に老い痴れ、照る陽にただれて、桃の盛りも知らぬげに、弥生やよいの空に点じ乱れて、濛々もうもうの夢に耽っております。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
が、ただひとりこの春日しゅんじつおりの中で、もがいていたのは李逵りきである。李逵は罰として、百日の禁足を食い、それが解けて、檻から外へ出されてみると、春は弥生やよい(三月)の花のかすみだ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弥生やよい朔日ついたちから、万太夫座では愈々いよいよ近松門左が書き下しの狂言のふたが開かれた。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
一方に弥生やよい節供せっく鶏合とりあわせのかわりに、鸚鵡おうむを出されたというような思い切った趣向ができると、是に立向うためにはどうしてもまた一段と頓狂とんきょうな空想が、浮んで来ずにはおられなかったので
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
奥方の弥生やよい様はあばたで大嫉妬やきもちと来てるからたまらない。
花曇りの空がだんだんり落ちて来る。重い雲がかさなり合って、弥生やよいをどんよりと抑えつける。昼はしだいに暗くなる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「お前の、左の字に頼まれて弥生やよいさんをねらっておいでだろうねえ? ところが与の公、あのは先日から行方知れずさ」
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
猛然として憶起おもいおこした事がある。八歳やッつか、九歳ここのつの頃であろう。雛人形ひなにんぎょうきている。雛市は弥生やよいばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものはなしと、歌人によって詠ぜられた、それは弥生やよいの春の夜のことで、京の町々はかすみこめて、しゃを巻いたようにおぼろであった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
天文二十四年乙卯いつぽうの春、月形城の合戦から半歳ほど過ぎた弥生やよい半ばのことであった。
この春、承安じょうあんの三年弥生やよい朔日ついたちたまのようなお子様がお生れ遊ばしたのでござる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明和三年弥生やよいなかば——これは首尾の松の霜、浅間の残暑、新堀の五月雨などとは事かわって、至極陽気がいい。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今日はどんな模様だなと、例の築山の芝生しばふの上にあごを押しつけて前面を見渡すと十五畳の客間を弥生やよいの春に明け放って、中には金田夫婦と一人の来客との御話おはなし最中さいちゅうである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鐘に桜花さくらの散る弥生やよい、青葉若葉の皐月さつきも過ぎて鰹の走る梅雨晴れ時、夏に入って夏も老い、九月も今日で十三日という声を聞いては、永いようで短いのが蜉蝣かげろうの命と暑さ盛り
弥生やよい御室おむろの花ざかり
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
弥生やよいの頃は、金石街道のこの判官石ほうがんいしの処から、ここばかりから、ほとんど仙境のように、桃色の雲、一刷ひとはけ、桜のたなびくのが見えると、土地で言います。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
吾輩はまた暫時ざんじの休養を要する。のべつに喋舌しゃべっていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼がめた時は弥生やよいの空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
主婦おかみに大目玉をくった事があるんだけれど、弥生やよいは里の雛遊ひなあそび……は常磐津ときわづか何かのもんくだっけ。
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
どれも、くいものという形でなく、菜の葉にまれちょうひとしく、弥生やよいの春のともだちに見える。……
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)