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高津
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たかつ
ふりがな文庫
“
高津
(
たかつ
)” の例文
吉田の大喜庵は、萬福寺から半道ばかりも離れて、
高津
(
たかつ
)
の濱を望むことの出來るやうな小高い山の上の位置にある。そこには雪舟の古い墓もあつた。
山陰土産
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
とミリヤアドの顔嬉しげに
打
(
うち
)
まもりつつ、
高津
(
たかつ
)
は予を見向きていう。ミリヤアドの容体はおもいしより安らかにて、夏の
半
(
なかば
)
一
度
(
たび
)
その健康を復せしなりき。
誓之巻
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
御身
(
おみ
)
の長さ一丈二寸、
御脛
(
おんはぎ
)
の長さ四尺一寸ございました。次にイニシキノイリ彦の命は、
血沼
(
ちぬ
)
の池・
狹山
(
さやま
)
の池を作り、また
日下
(
くさか
)
の
高津
(
たかつ
)
の池をお作りになりました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
仁徳天皇
(
にんとくてんのう
)
はお位におのぼりになりますと、
難波
(
なにわ
)
の
高津
(
たかつ
)
の
宮
(
みや
)
を皇居にお定めになり、
葛城
(
かつらぎ
)
の
曽都彦
(
そつひこ
)
という人の
娘
(
むすめ
)
の
岩野媛
(
いわのひめ
)
という方を改めて皇后にお立てになりました。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
下総は延喜式で
左馬寮
(
さまれう
)
御牧貢馬地
(
みまきこうばち
)
として、信濃上野甲斐武蔵の下に在るやうに見えるが、
兵部省
(
ひやうぶしやう
)
諸国馬牛
牧式
(
ぼくしき
)
を見ると、
高津
(
たかつ
)
牧、大結牧、
本島
(
もとじま
)
牧、長州牧など、沢山な
牧
(
まき
)
があつて
平将門
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
高津
(
たかつ
)
先生。長い間いろいろとお世話さまになりました。
錯覚の拷問室
(新字新仮名)
/
佐左木俊郎
(著)
(御身のたけ一丈二寸、御脛の長さ四尺一寸ましき。)次に
印色
(
いにしき
)
の
入日子
(
いりひこ
)
の命は、
血沼
(
ちぬ
)
の池
五
を作り、また
狹山
(
さやま
)
の池を作り、また
日下
(
くさか
)
の
高津
(
たかつ
)
の池
六
を作りたまひき。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
その中には、
高津
(
たかつ
)
のお宮のお飲み水を取る役所で働いていた、
吉備
(
きび
)
の生まれの、ある
身分
(
みぶん
)
の低い
仕丁
(
よぼろ
)
で、おいとまをいただいておうちへ帰るのが、乗り合わせておりました。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
こゝで味はふ
高津
(
たかつ
)
川の鮎もうまかつた。
山陰土産
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
オホサザキの命(仁徳天皇)、
難波
(
なにわ
)
の
高津
(
たかつ
)
の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
ひとつ見たいのでもない。見たいのは
高津
(
たかつ
)
のお宮よりほかにはなんにもない
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
高
常用漢字
小2
部首:⾼
10画
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
“高津”で始まる語句
高津日
高津川
高津道性