高津たかつ)” の例文
吉田の大喜庵は、萬福寺から半道ばかりも離れて、高津たかつの濱を望むことの出來るやうな小高い山の上の位置にある。そこには雪舟の古い墓もあつた。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
とミリヤアドの顔嬉しげにうちまもりつつ、高津たかつは予を見向きていう。ミリヤアドの容体はおもいしより安らかにて、夏のなかばたびその健康を復せしなりき。
誓之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
御身おみの長さ一丈二寸、御脛おんはぎの長さ四尺一寸ございました。次にイニシキノイリ彦の命は、血沼ちぬの池・狹山さやまの池を作り、また日下くさか高津たかつの池をお作りになりました。
仁徳天皇にんとくてんのうはお位におのぼりになりますと、難波なにわ高津たかつみやを皇居にお定めになり、葛城かつらぎ曽都彦そつひこという人のむすめ岩野媛いわのひめという方を改めて皇后にお立てになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
下総は延喜式で左馬寮さまれう御牧貢馬地みまきこうばちとして、信濃上野甲斐武蔵の下に在るやうに見えるが、兵部省ひやうぶしやう諸国馬牛牧式ぼくしきを見ると、高津たかつ牧、大結牧、本島もとじま牧、長州牧など、沢山なまきがあつて
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
高津たかつ先生。長い間いろいろとお世話さまになりました。
錯覚の拷問室 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
(御身のたけ一丈二寸、御脛の長さ四尺一寸ましき。)次に印色いにしき入日子いりひこの命は、血沼ちぬの池を作り、また狹山さやまの池を作り、また日下くさか高津たかつの池を作りたまひき。
その中には、高津たかつのお宮のお飲み水を取る役所で働いていた、吉備きびの生まれの、ある身分みぶんの低い仕丁よぼろで、おいとまをいただいておうちへ帰るのが、乗り合わせておりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
こゝで味はふ高津たかつ川の鮎もうまかつた。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
オホサザキの命(仁徳天皇)、難波なにわ高津たかつの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
ひとつ見たいのでもない。見たいのは高津たかつのお宮よりほかにはなんにもない
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)