駒場こまば)” の例文
ところが求める者には与えられるのか、私があらた駒場こまばに居を決める直ぐ前に、予々かねがね日光街道で眼に入っていた一軒の石屋根長屋門が売りに出た。
野州の石屋根 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
駒場こまばの医者山田文郁ぶんいく浪合なみあい増田ますだ平八郎に浪合佐源太さげんたなぞの顔も見える。景蔵には親戚しんせきにあたる松尾誠(多勢子たせこの長男)もわざわざ伴野とものからやって来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
(明治十四、五年のころにもやあらん)それよりして元東京大学(予備門)へ伝わりしと聞けどいかがや。また同時に工部大学校、駒場こまば農学校へも伝わりたりと覚ゆ。
ベースボール (新字新仮名) / 正岡子規(著)
駒場こまばの原では馬耕の様子を見せた。青山の南北町をひらいて養植園を設けた。外国種の家畜や作物果樹をここで一時休息させ、それから北海道に移すためであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
駒場こまばの壮年の林学士。目下ニオトマムに天幕てんまくを張って居る。明日関翁と天幕訪問の約束をする。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
こういう芸事げいごとまで、片肱張らんでもよかろうに、世話人が集まって、駒場こまば係りが二日間の出演順を定めてしもうて、いよいよ、幕をあける段になってから、急に、出らんといいだした。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
玄斎は維新前駒場こまばにあった徳川幕府の薬園に務めていた本草ほんぞうの学者で、著述もあり、専門家の間には名を知られていたので、維新後しばしば出仕しゅっしを勧められたが節義を守ってこの村荘そんそうに余生を送った。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「いいえ、叔父さまがね、ほら、あの、駒場こまばの」
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その日の泊まりと定められた駒場こまばへは、平田派の同志のものが集まった。暮田正香と松尾誠まつおまこと(松尾多勢子たせこの長男)とは伴野とものから。増田平八郎ますだへいはちろう浪合佐源太なみあいさげんたとは浪合から。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
先鋒隊せんぽうたいのうちにはすでに駒場こまば泊まりで出かけるものもある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)