難波津なにわづ)” の例文
澪標の語は『延喜式』に難波津なにわづほとり、海中に澪標を立つとあるのが初めで『万葉』には水咫衝石の字をつと『和訓栞わくんのしおり』に言ってある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
まだ手習いの難波津なにわづの歌さえも続けて書けない子供でございますから失礼をお許しくださいませ、それにいたしましても
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
だが——京から難波津なにわづ——四天王寺から河内路と、こう、往来の多い場所では、とかく、寄りつく機会が見出せなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文答師は難波津なにわづに着いてこの由を官を経て奏上した。皇后がおおせられるに、わたくしは大臣の少女むすめ、皇帝の后宮である。どうして異国大王の賢使などに逢えよう。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
けだしこのあたりは難波津なにわづの昔からある丘陵きゅうりょう地帯で西向きの高台がここからずっと天王寺てんのうじの方へ続いている。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
自分が絵解えどきをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津なにわづの歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶いかのぼり——そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ともあれ此上は、難波津なにわづへ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
それでなくても、都人の距離感と、また生活関心は、未開土の東国などよりは、難波津なにわづから瀬戸の海につづく南海方面のほうが、はるかに、身ぢかなものだった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)