長髄彦ながすねひこ)” の例文
旧字:長髓彦
物部氏は、饒速日にぎはやひ長髄彦ながすねひこの子孫である。すなわち神武よりもさきに、日本本土の中央に、君臨していた一大氏族の子孫である。
それ故にこそ今も諸国の古塚をあばくと、往々にして無名の八掬脛やつかはぎ長髄彦ながすねひこの骨が現れ、もしくは現れたと語り伝えて尊信しているのである。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし命は、それらの賊たちよりも、もっともっとにくいのはおあにいさまのみことのお命をうばった、あの鳥見とみ長髄彦ながすねひこでした。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
皆は茶店のばあさんの手から、渋茶を受取つて咽喉のどを潤した。そしていゝ気になつて長髄彦ながすねひこ楠木正成くすのきまさしげの話をした。
頑敵たる長髄彦ながすねひこを初め、八十梟帥やそたける磯城しき賊、うかし賊、土蜘蛛つちぐもなど、兇悪な蛮賊が到る処に、皇軍を待つてゐた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
その先祖は長髄彦ながすねひこの兄安日あびというもので、神武天皇御東征以前の、大和の領主であったと云っております。
本州における蝦夷の末路 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
安東氏は自ら安倍貞任の子高星たかぼしの後と称し、その遠祖は長髄彦ながすねひこの兄安日あびなりと言つてゐる。
津軽 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
我が行かば何はばむ、長髄彦ながすねひこ
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
想うに天孫にたいして、大巳貴おおあなむちの拒否があり、神武にたいして長髄彦ながすねひこの反抗があったのは、神の降臨ということにたいしては、不可解のことである。
そのうちに五瀬命いつせのみことが、長髄彦ながすねひこの鋭い矢のために大きずをお受けになりました。みことはその傷をおおさえになりながら
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
大和の長髄彦ながすねひことの御対戦は、古事記に依つても、その御苦戦が察せられる。最初の正面攻撃に、成功せられず、皇兄五瀬命いつせのみことは、敵の矢に当つて戦死遊ばされた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
諸国に数多き大人おおひとの足跡の話は、話となって極端まで誇張せられ、加賀ではあの国を三足であるいたという大足跡もありますが、もとは長髄彦ながすねひこもしくは上州の八掬脛やつかはぎぐらいの
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
するとそこには、大和やまと鳥見とみというところの長髄彦ながすねひこという者が、兵をひきつれて待ちかまえておりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
長髄彦ながすねひことは、まえにも述べたように、「巨人」という意味の名字であろう。古代のローマ史に見るゴールの英雄ヴェルサン・ジェトリックを思いおこさせるものがある。