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長髄彦
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ながすねひこ
ふりがな文庫
“
長髄彦
(
ながすねひこ
)” の例文
旧字:
長髓彦
物部氏は、
饒速日
(
にぎはやひ
)
と
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の子孫である。すなわち神武よりもさきに、日本本土の中央に、君臨していた一大氏族の子孫である。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
それ故にこそ今も諸国の古塚を
発
(
あば
)
くと、往々にして無名の
八掬脛
(
やつかはぎ
)
や
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の骨が現れ、もしくは現れたと語り伝えて尊信しているのである。
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
しかし命は、それらの賊たちよりも、もっともっとにくいのはおあにいさまの
命
(
みこと
)
のお命を
奪
(
うば
)
った、あの
鳥見
(
とみ
)
の
長髄彦
(
ながすねひこ
)
でした。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
皆は茶店の
媼
(
ばあ
)
さんの手から、渋茶を受取つて
咽喉
(
のど
)
を潤した。そしていゝ気になつて
長髄彦
(
ながすねひこ
)
や
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
の話をした。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
頑敵たる
長髄彦
(
ながすねひこ
)
を初め、
八十梟帥
(
やそたける
)
、
磯城
(
しき
)
賊、
猾
(
うかし
)
賊、
土蜘蛛
(
つちぐも
)
など、兇悪な蛮賊が到る処に、皇軍を待つてゐた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
▼ もっと見る
その先祖は
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の兄
安日
(
あび
)
というもので、神武天皇御東征以前の、大和の領主であったと云っております。
本州における蝦夷の末路
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
安東氏は自ら安倍貞任の子
高星
(
たかぼし
)
の後と称し、その遠祖は
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の兄
安日
(
あび
)
なりと言つてゐる。
津軽
(新字旧仮名)
/
太宰治
(著)
我が行かば何はばむ、
長髄彦
(
ながすねひこ
)
。
新頌
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
想うに天孫にたいして、
大巳貴
(
おおあなむち
)
の拒否があり、神武にたいして
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の反抗があったのは、神の降臨ということにたいしては、不可解のことである。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
そのうちに
五瀬命
(
いつせのみこと
)
が、
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の鋭い矢のために大きずをお受けになりました。
命
(
みこと
)
はその傷をおおさえになりながら
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
大和の
長髄彦
(
ながすねひこ
)
との御対戦は、古事記に依つても、その御苦戦が察せられる。最初の正面攻撃に、成功せられず、皇兄
五瀬命
(
いつせのみこと
)
は、敵の矢に当つて戦死遊ばされた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
諸国に数多き
大人
(
おおひと
)
の足跡の話は、話となって極端まで誇張せられ、加賀ではあの国を三足であるいたという大足跡もありますが、もとは
長髄彦
(
ながすねひこ
)
もしくは上州の
八掬脛
(
やつかはぎ
)
ぐらいの
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
するとそこには、
大和
(
やまと
)
の
鳥見
(
とみ
)
というところの
長髄彦
(
ながすねひこ
)
という者が、兵をひきつれて待ちかまえておりました。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
長髄彦
(
ながすねひこ
)
とは、まえにも述べたように、「巨人」という意味の名字であろう。古代のローマ史に見るゴールの英雄ヴェルサン・ジェトリックを思いおこさせるものがある。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
“長髄彦”の解説
長髄彦(ながすねひこ)は、日本神話に登場する伝承上の人物。神武天皇に抵抗した大和の指導者の一人。神武天皇との戦い(神武東征)に敗れた。
(出典:Wikipedia)
長
常用漢字
小2
部首:⾧
8画
髄
常用漢字
中学
部首:⾻
19画
彦
漢検準1級
部首:⼺
9画
“長髄”で始まる語句
長髄