長曾我部ちょうそかべ)” の例文
すなわち、秀吉の名代として、長曾我部ちょうそかべの四国へ討ち入るべく、総帥秀長と、副将秀次が、ここに出港の準備を遂げたものとおもわれる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土佐の長曾我部ちょうそかべとか、備前の宇喜多うきたとかいう、徳川家に弓を引いて断絶した家々の部下で、新領主を苦しめたのはこれら地侍・郷士の輩である。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
亮の家の祖先は徳川とくがわ以前に長曾我部ちょうそかべ氏の臣であって、のち山内やまのうち氏に仕えた、いわゆる郷士であった。曾祖父そうそふは剣道の師範のような事をやっていて、そのころはかなり家運が隆盛であったらしい。
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
四国の長曾我部ちょうそかべの動静がさだかでないから、一両日はなお見定めたいとか、あらぬ理由を立ててしかもなお、いちど貴所の方から大坂城へ来て
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことに彼等はいまだ充分に長曾我部ちょうそかべ家の恩顧を受けきらぬ内に、その家と別れたのである。
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
秀吉ひでよし家康いえやすをはじめ、加賀かが前田まえだ毛利もうり伊達だて上杉うえすぎ北条ほうじょう長曾我部ちょうそかべ、みなそれぞれ名器めいき武将ぶしょうであるけれど、かれらはじぶんのこうをいそぐ以外いがいに、かみしも
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
芸州げいしゅうを去った光秀は、肥前肥後の山野を跋渉ばっしょうして、大友家の領内をもたろう。海外の天地も、海を隔てて想像したろう。海路、四国へも出、長曾我部ちょうそかべ氏の兵法もうかがったろう。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なんら彼とは、宿怨もかかわりもない九州の大友、島津、中国の毛利、四国の長曾我部ちょうそかべ
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、防禦をかため、四国の長曾我部ちょうそかべ瀬戸内せとうちの海賊たちに
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また徳川、滝川、毛利、長曾我部ちょうそかべ
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)