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鑑真
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がんじん
ふりがな文庫
“
鑑真
(
がんじん
)” の例文
また心
憂
(
う
)
き事
侍
(
はべ
)
りき、その大臣の娘
座
(
おわ
)
しき、
色
(
いろ
)
容
(
かたち
)
愛
(
めで
)
たく世に
双人
(
ならぶひと
)
なかりき、
鑑真
(
がんじん
)
和尚の、この人千人の男に逢ひ給ふ相
座
(
おわ
)
すと
宣
(
のたま
)
はせしを
十二支考:03 田原藤太竜宮入りの話
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
東大寺の大仏
開眼
(
かいげん
)
の日からかぞえると七年目、
天平
(
てんぴょう
)
もすでに末期の宝字三年、
鑑真
(
がんじん
)
が
聖武
(
しょうむ
)
天皇の御
冥福
(
めいふく
)
を祈りつつ草創した寺と伝えられる。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
日本の肖像彫刻を考える時誰でもいちばん最初に頭に出て来るのは奈良朝に於ける唐招提寺の
鑑真
(
がんじん
)
大和上の坐像であろう。
本邦肖像彫刻技法の推移
(新字新仮名)
/
高村光太郎
(著)
発見といふのは、寺の敷地が伝説通り
新田部
(
にたべ
)
親王の
邸跡
(
やしきあと
)
に相違なかつたとか、開基の
鑑真
(
がんじん
)
和尚が胃病患者だつたとかいふ、そんな無益な問題では無い。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
しかし、素通りを縁として、井上靖の『天平の
甍
(
いらか
)
』を速読した。かねて、唐招提寺の創立者たる盲目の
鑑真
(
がんじん
)
和上の事を知りたいと思っていたためである。
冬の法隆寺詣で
(新字新仮名)
/
正宗白鳥
(著)
▼ もっと見る
唐から来た
鑑真
(
がんじん
)
が唐招提寺に一つの中心を造ったのは、大仏の開眼供養よりは六七年も後のことで、ここに天平時代の後期が始まるのであるが、同じく
玄宗
(
げんそう
)
時代の流風を伝えたにしても
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
この
鑑真
(
がんじん
)
和尚にもう少し動きを与えたのが法隆寺夢殿にあるその創建者
行信
(
ぎょうしん
)
僧都の木骨
夾紵
(
きょうちょ
)
像である。如何にも傑物らしい風格が闊達に出ている。
本邦肖像彫刻技法の推移
(新字新仮名)
/
高村光太郎
(著)
鑑真
(
がんじん
)
の率いて来た唐仏師の影響下に造顕されたと伝えられるが、それは別として、私はいつも千手観音を拝するたびに起す一つの疑問をここで述べておこう。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
鑑真
(
がんじん
)
とその徒が困難な航海の後に九州に着いたのは、大仏開眼供養の翌年の末であったといわれている。彼らが
京師
(
けいし
)
に入る時の歓迎はすばらしいもので、当時の高官高僧は皆その接待に力をつくした。
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
“鑑真”の解説
鑑真(がんじん、鑑眞、、688年〈持統天皇2年〉 - 763年6月25日〈天平宝字7年5月6日〉)は、唐代の僧人。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。
(出典:Wikipedia)
鑑
常用漢字
中学
部首:⾦
23画
真
常用漢字
小3
部首:⽬
10画
“鑑真”で始まる語句
鑑真大和上