鉄胤かねたね)” の例文
篤胤ののこした仕事はおもに八人のすぐれた弟子でしに伝えられ、その中でも特に選ばれた養嗣ようしとして平田家を継いだのが当主鉄胤かねたねであった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その頃の教官は漢学では水本先生の一等教授の外吉野立蔵氏が二等教授私の藩の藤野正啓氏が三等教授、国学では平田鉄胤かねたね氏が一等教授、矢野玄道氏が二等教授木村正辞氏が三等教授であった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
延胤は半蔵が師鉄胤かねたねの子息で、故翁篤胤の孫に当たる。平田同門のものは日ごろ鉄胤のことを老先生と呼び、延胤を若先生と呼んでいる。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江戸にある平田同門の知人をたずねたり、時には平田家を訪ねてそこに留守居する師鉄胤かねたねの家族を見舞ったりすることであった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
前に本居宣長がなかったら、平田篤胤あつたねでも古人の糟粕そうはくをなめて終わったかもしれない。平田篤胤がなければ、平田鉄胤かねたねもない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
鉄胤かねたねはじめその子息むすこさんの延胤のぶたねとも交わりを結ぶ端緒いとぐちを得たというだけにも満足して、十一屋の二階でいろいろと荷物を片づけにかかった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
当時そのことは京都にある師鉄胤かねたねのもとへ書面で通知してあったが、なお、縫助は今度の上京を機会に、その報告をもたらして来たのである。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「青山君、あれで老先生(平田鉄胤かねたねのこと)も、もう十年若くして置きたかったね。」と正香は盃を重ねながら言った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
おまけに、江戸には篤胤大人の祖述者をもって任ずる平田鉄胤かねたねのようなよい相続者があって、地方にある門人らを指導することを忘れていなかった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
半蔵はこの人を馬籠本陣に迎えて、日ごろ忘れない師鉄胤かねたねや先輩暮田正香くれたまさかからのうれしい言伝ことづてを聞くことができた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一切の宿場の改変に。引きつづく木曾谷の山林事件に。彼は一日も忘れることのない師鉄胤かねたねのもとにすら久しいこと便たよりもしないくらいであったと語った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
香蔵と半蔵とは顔を見合わせて、それから京都にある師鉄胤かねたねなぞのうわさに移った。勝重は松薪まつまきを加えたり、ボヤを折りくべたりして、炉の火をさかんにする。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これを条山神社とすべきか、条山霊社とすべきか、あるいは国学霊社とすべきかはまだ決定しない。その社号は師平田鉄胤かねたねの意見によって決定することにしたい。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)