重忠しげただ)” の例文
四相しそうさとるこの重忠しげただが貴様の人相を見抜いてしまったのだ。これ、よく聞け。貴様は前から坂井屋のお糸と出来ていた。
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
土地ところの人これを重忠しげただの鬢水と名づけて、ひでりつづきたる時こをせば必ず雨ふるよしにいい伝う。また二つ岩とて大なる岩の川中に横たわれるあり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
武蔵の領地にいた六郎の父重忠しげただも、北条氏のために鎌倉へおびきよせられてみちで殺された。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
武蔵国の住人畠山庄司次郎重忠しげただ、この時二十一歳であったが義経の前に進むと
敷皮しきがわ曾我そが」の重忠しげただ、「国姓爺合戦こくせんやかっせん」の和藤内わとうない、「二人袴ににんばかま」の高砂尉兵衛などを勤めたのであるが、その時代としては何分にも交通不便利の場所にあるので
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この六郎は畠山次郎重忠しげただの子六郎重保しげやすで、時政の前妻のむすめの腹に生れた者であった。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
足利蔵人義兼くらんどよしかねかがみの小次郎長清ながきよ、北条小四郎義時よしとき、斎院次官親義じかんちかよし、土肥次郎実平、同じく弥太郎遠平とおひら三浦介義澄みうらのすけよしずみ、同平六義村よしむら、畠山庄司次郎重忠しげただ、長野三郎重清しげきよ稲毛いなげの三郎重成しげなり榛谷はんがえの四郎重朝しげとも