“遺風”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ゐふう60.0%
いふう40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
外に滿足な槍が三筋、弓が二た張、矢が二三十本、これ等はすべて、昔の豪族が、家の子郎黨の手で自分の家を護つた時の遺風ゐふうらしく、何時でも取出せるやうに用意してあつたのでせう。
今我が郡にいふ斗棒とぼうすなはちいにしへの粥杖かゆつゑ遺風ゐふうなる事を発明はつめいせり、我国にも祝木いはひぎあるひは御祝棒おいはひぼうといふ所もあり。これ七八百年前より正月十五日にする事、京伝翁が引れたるしよにてしらるゝなり。
従来じゅうらい築城試合ちくじょうじあいがさきであったが、ゆみ兵家へいか表道具おもてどうぐ、これがほんとだという意見いけんがある、あまり信玄しんげん遺風いふうをまねているのは、徳川家とくがわけとしても権威けんいにかかわるという議論ぎろんがあって
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほかに満足な槍が三筋、弓が二た張、矢が二三十本、これらはすべて、昔の豪族が、家の子郎党の手で自分の家を護った時の遺風いふうらしく、いつでも取出せるように用意してあったのでしょう。