道真みちざね)” の例文
旧字:道眞
園内には道真みちざねいらいの菅原家代々の墓所がある。五輪、白骨まで掘りちらされ、惨状、目もあてられぬ暴状と聞いたからである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
博士は顳顬こめかみ拇指おやゆびで押へたまゝじつと考へ込んでゐると、都合よく道真みちざね公の歌がひよつくりと滑り出して来た。
(同月七日従二位にすゝみ玉へり)此密事みつじいかにしてか時平公のきゝにふれしかば、事にさきんじて 帝にざんするやうは、君の御弟斉世ときよ親王は道真みちざねむすめ室適しつてきして寵遇ちようぐうあつし。
初めの二三年の間は右大臣に菅原道真みちざねが控えていたゝめに多少牽制けんせいもされたけれども、昌泰四年の正月にその政敵をおとしいれることに成功してからは、名実共に天下のいちひとであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
橘広相たちばなのひろみ菅原道真みちざね橘逸勢たちばなのはやなりなどは、藤原氏専制の犠牲者の最も大なるものである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
(同月七日従二位にすゝみ玉へり)此密事みつじいかにしてか時平公のきゝにふれしかば、事にさきんじて 帝にざんするやうは、君の御弟斉世ときよ親王は道真みちざねむすめ室適しつてきして寵遇ちようぐうあつし。
菅原道真みちざねの三番目の実子と生れ、学才もあり、人物がよくても、ついに、こんな遠国の地方吏として、一生を、世にも知られず、しかも不平もいわず、黙々と、終る人もあるかと思うと
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
菅神御名は道真みちざねあざなは三、童名を阿呼あこと申たてまつる。
菅原道真みちざね公の、三番目の実子だということだった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
菅神御名は道真みちざねあざなは三、童名を阿呼あこと申たてまつる。