通盛みちもり)” の例文
教盛のりもり〕清盛から三番目の弟。——門脇殿かどわきどのというのが通り名。職は中納言。長男通盛みちもりは、鵯越ひよどりごえで戦死。次子能登守教経のりつねがある。年五十七。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
またわが『平家物語』における三位さんみ通盛みちもりの妻小宰相こざいしょうの自殺の如きもこの類である。実にある場合には自殺が最上のそして最美の道と見ゆるのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
小松三位さんみの中将維盛これもり、越前三位通盛みちもり但馬守経正たじまのかみつねまさ薩摩守忠度さつまのかみただのり、三河守知度とものり淡路守清房あわじのかみきよふさ、侍大将には、越中前司盛俊のぜんじもりとし上総大夫判官かずさのたいふのはんがん忠綱、飛騨大夫ひだのたいふ判官景高、高橋判官たかはしのはんがん長綱、河内判官秀国
平軍の教経のりつねは敗れて海上へ逃げたが、同陣の盛俊だの通盛みちもりなどは、名倉池や東尻池の附近でみな戦死している。刈藻川の上流で、まさに会下山と鵯越えの中間といってよい。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越前三位通盛みちもりは、山の手の大将軍であったが、赤地錦の直垂、唐綾縅の鎧を着け、白葦毛の馬に乗っていたが、いつしか味方とも離れ、弟能登守の姿も見失って今はこれまでと覚悟を決め
敦盛あつもり忠度ただのり通盛みちもり経俊つねとし経正つねまさ知章ともあきら——など十指を折っても折りきれない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
維盛これもり通盛みちもり忠度ただのり資盛すけもりなどの諸大将も、今はすべて洛中へ逃げもどって
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)